2016年01月06日
お正月の縁起物
本日は、新年最初の3年ゼミ、
ということで、
お正月のおめでたいもの、
縁起物について、紹介してみました。

留学生の皆さんもゼミにいるので、
日本の文化を見直してみることにしたのです。
お正月というと、まずはお年玉でしょうか。
ぽち袋という、手のひらサイズの封筒で、
親御さんや親戚からいただいたと思います。

京都のお店では、江戸時代や明治時代の、
ポチ袋の模様を復刻したものがおかれていたり、
オリジナルの文様を和紙に印刷してくれる店もあります。
ポチ袋は、芸妓さんに心付けとして渡す場合に、
使われたりしたので、粋な文様を刷っていたのです。
のし袋を小さくしたものよりも、
使う人のセンスを感じさせます。
また、お年玉は、おこづかいではないので、
おめでたいものをさしあげるのが、
本来の心遣いかな、と思います。
相手に福徳が来るように、
お祈りするわけですね。
というわけで、もらいもので悪いのですが、
正月に親戚からもらった、
北海道のお菓子を、みんなでいただくことにしました。

ゼミの学生の中には、
自分が出かけた土地のお土産を、
持ってきた人もいました。

みんなで福徳を分け合う、
お土産には、そんな意味もあると思います。

次に、みんなで、おめでとうございます、
と言葉を交わすことにしました。
言祝ぐ、という言葉があるように、
私たち日本人は、言葉の力で、
人にしあわせをもたらすことを祈ります。
言祝ぐとは、ちょっと関係が薄いかもしれませんが、
縁起物の、洒落た千社札を見つけたので、
皆さんにさしあげました。
千社札は、江戸時代にはじまり、
神社を訪れた際に、参籠する代わりに貼ったものです。
今回持ってきたものは、
神社で貼るものではなく、
縁起物として自分の部屋に飾るものです。
宝船や招き猫など縁起物の絵の他に、
吉兆や招福といった、おめでたい言葉が書いてあります。
この言葉の力で、皆さん、吉運を呼んでください。

そして、もうひとつ、気持ちを新たにしてみよう、
という話をしました。
日本人は、初詣とか初日の出とか、
初が好きですね。
過去に楽しくないことがあっても、
とりあえず忘れて、
新たな気持ちでスタートする。
新たにする、という気の持ち方も、
縁起物のひとつかと思います。
昨日紹介したキャンパスに飾られたお花も、
新年を言祝ぐ縁起物です。
こういう心遣いが、人に福徳をもたらすのでしょう。

報告:長沼光彦
ということで、
お正月のおめでたいもの、
縁起物について、紹介してみました。

留学生の皆さんもゼミにいるので、
日本の文化を見直してみることにしたのです。
お正月というと、まずはお年玉でしょうか。
ぽち袋という、手のひらサイズの封筒で、
親御さんや親戚からいただいたと思います。

京都のお店では、江戸時代や明治時代の、
ポチ袋の模様を復刻したものがおかれていたり、
オリジナルの文様を和紙に印刷してくれる店もあります。
ポチ袋は、芸妓さんに心付けとして渡す場合に、
使われたりしたので、粋な文様を刷っていたのです。
のし袋を小さくしたものよりも、
使う人のセンスを感じさせます。
また、お年玉は、おこづかいではないので、
おめでたいものをさしあげるのが、
本来の心遣いかな、と思います。
相手に福徳が来るように、
お祈りするわけですね。
というわけで、もらいもので悪いのですが、
正月に親戚からもらった、
北海道のお菓子を、みんなでいただくことにしました。

ゼミの学生の中には、
自分が出かけた土地のお土産を、
持ってきた人もいました。

みんなで福徳を分け合う、
お土産には、そんな意味もあると思います。

次に、みんなで、おめでとうございます、
と言葉を交わすことにしました。
言祝ぐ、という言葉があるように、
私たち日本人は、言葉の力で、
人にしあわせをもたらすことを祈ります。
言祝ぐとは、ちょっと関係が薄いかもしれませんが、
縁起物の、洒落た千社札を見つけたので、
皆さんにさしあげました。
千社札は、江戸時代にはじまり、
神社を訪れた際に、参籠する代わりに貼ったものです。
今回持ってきたものは、
神社で貼るものではなく、
縁起物として自分の部屋に飾るものです。
宝船や招き猫など縁起物の絵の他に、
吉兆や招福といった、おめでたい言葉が書いてあります。
この言葉の力で、皆さん、吉運を呼んでください。

そして、もうひとつ、気持ちを新たにしてみよう、
という話をしました。
日本人は、初詣とか初日の出とか、
初が好きですね。
過去に楽しくないことがあっても、
とりあえず忘れて、
新たな気持ちでスタートする。
新たにする、という気の持ち方も、
縁起物のひとつかと思います。
昨日紹介したキャンパスに飾られたお花も、
新年を言祝ぐ縁起物です。
こういう心遣いが、人に福徳をもたらすのでしょう。

報告:長沼光彦