2017年04月08日

人を尊重すること 入学式感謝のミサ


4月3日の入学式では、
感謝のミサを行いました。

新入生の皆さんにとっては、
大学で行う初めてのミサです。

北村善朗神父をお招きして、
式を行いました。




式では、マタイによる福音7章7~12が、
朗読されました。

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
 求めなさい。そうすれば、与えられる。
 探しなさい。そうすれば、見つかる。
 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
 
 あなたがたのだれが、
 パンを欲しがる自分の子供に、
 石を与えるだろうか。
 魚を欲しがるのに、
 蛇を与えるだろうか。

 このように、
 あなたがたは悪い者でありながらも、
 自分の子供には良い物を与えることを知っている。
 まして、あなたがたの天の父は、
 求める物に良い物をくださるにちがいない。
 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、
 あなたがたも人にしなさい。
 これこそ律法と預言者である。


これをふまえ、北村神父は、
次のようなお話をされました。


愛するということの、
本当の意味を知ることが大切です。

好き嫌いということは、
本当の愛ではありません。
好き嫌いは感情から発するものです。

本当の愛は、好悪を超えて、
相手を尊重することです。





ここからは、私の考えたことです。

本当の愛を意識しない人は、
その人が本当に必要としないものを、
与えようとすることがあるでしょう。

つまり、相手を尊重しないで、
自分の満足を優先するからです。


とはいえ、
自分の思い込みを修正して、
相手の本当に必要なものを、
与えるのは、
なかなか難しいように思います。

自分の子供は、はじめから、
自分と結びつきがありますが、
他者とは、はじめから、
そういう結びつきがあるわけではありません。

他者は、単なる知り合いではなく、
まさに尊重すべき相手、
自分の子供のように大切できるような相手、
として見直す必要がある、
ということでしょう。

聖書の言葉の中には、
隣人を重んじる言葉が、
多くあります。



報告:長沼光彦


   
タグ :聖書入学式


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 20:53Comments(0)日記カトリック教育