2017年04月28日

京都百人一首 かるた会が開かれました

人間文化学科の堀勝博教授のゼミで制作された「京都百人一首」については、
このブログでも紹介されてきましたが

http://notredameningen.kyo2.jp/e444544.html

2017年4月27日、
この「京都百人一首」かるた会が人間文化学科の有志によって開かれました。

今回は、2チームに分かれてのかるた会です。



途中、堀教授もお越しくださり、ちょっとしたご指導あり。


京都の地名などが詠みこまれた名歌にふれる、
和やかで楽しいひと時となりました。






なお、6月には、この「京都百人一首」も紹介される公開講座が開かれます。

【公開講座】----------

「百人一首 かるたに恋して」

第1部 「京都百人一首歌かるた」で巡る京都の名所
   (堀 勝博 人間文化学科教授)

第2部 元・クイーンが語る競技かるたの魅力
   (荒川裕理 第47・48期クイーン 京都小倉かるた会所属)

会 場 京都ノートルダム女子大学
日 時 6月10日(土)14:00~16:00
予 約 不要
入場料 無料

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「競技かるたのクイーンもいらっしゃる!」
「歌を通して、京都をもっと知ることができるかな」などと
今回のメンバーも、皆、とても楽しみにしているようです。


報告:平野美保
  


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2017年02月11日

入学前教育講座で自分の卒業研究を発表!

本大学では、3日間に渡って入学前教育講座が実施されました。その中で、本学の4年次生が終わったばかりの自分の卒業研究を紹介する「卒業研究発表会」も開催されました。

どの学科の研究内容も、各学科で優秀な卒業研究として選出されたものだけあって、本格的な研究で、「卒業研究という大きな山を越えたことで自信をつけた学生の発表」は、聴衆を感動させるものでした。発表は4学科から、合計8つでした。

人間文化学科からの発表は2つで、一つ目が王さん香港出身の留学生、王海雯(オウカイブン)さんによる

 「近代語『女性』『男性』の語彙論的考察」

でした。



王さんの研究は、「女性」という日本語の歴史についてで、明治からの100年以上に渡る新聞記事や、夏目漱石などの文豪の作品を調べ上げて結論づけた本格的なものでした。詳しくは 2月5日のブログ参照

そして、二つ目が栗林愛実さんと俣野なぎささんによる

 「子どもの教育を目的とした しかけ絵本の制作」

でした。栗林さんは「しあわせをはこぶたね」という知育絵本を、俣野さんは「じゅんくんのいちねん」という季節の行事が学べる絵本を制作しました。どちらもオリジナルストーリーになっています。

これらの絵本制作の基本にある「研究目的」やそれらの絵本がもつ「役割」や「コンセプト」を発表したうえで、実際の絵本を紹介しました。





栗林さんの絵本は、こんな風に素敵な飛び出す絵本になっています。センスの良い色遣いと高度な技術に圧倒される作品でした。



俣野さんの絵本にもしかけがあって、子どもが楽しく遊びながら毎月の行事が学べるように工夫されいる作品でした。以下に、2月の節分と3月の雛祭りのページを紹介します。




発表、お疲れ様でした&ありがとうございました。

報告:吉田智子  


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2016年07月13日

卒業生が個展を開きます

 2016年8月8~21日に、神戸元町カラスカフェで、卒業生の和紗さんが
友人のあかつかくみこさんとコラボ個展を開催します。

 【光と青のシンフォニー】というタイトルで、あかつかくみこさんが描いた絵を、
和紗さんが切り絵にした作品の展覧会です。







 和紗さんは、在学中から切り絵が得意で、卒業制作では、
聴覚障がい児がことばをイメージするための支援方法をテーマに研究し、
『ぼくたちの声も聞いてネ』と題する聴覚障がい児向けのガイドブックを作成しました。
聴覚障がいのある子どもたちは音を聞き取ることが難しいため、動物の鳴き声も含め、
擬音語や擬態語を知る機会がなかなかないことに注目し、動物の鳴き声を知ってもらうための
ガイドブックとして作成したもので、切り絵を活用したすてきな作品に仕上がりました。

 今回のコラボ個展も魅力的なものになりそうですので、機会があれば、ぜひ足をお運びください。

報告:岩崎れい



  


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2015年07月01日

おはなし会の練習を始めました

 司書課程科目〈児童サービス論〉では、子どもたちへの図書館サービスのひとつであるお話会の方法と技術を学ぶため、授業の中で企画し、練習しています。読み聞かせ、ストーリーテリング、ブックトーク、読書へのアニマシオン、紙芝居、ペープサート、エプロンシアター、パネルシアターのうち、各自または各グループひとつを選んで、実際にクラスの中で実演します。
 子どもの発達段階を考えながら、どの年齢層に、どんなお話を、あるいはどんなプログラムを、どの手法で提供するかを考えることは重要であり、また難しいものです。実演の際には、年齢と作品と手法を組み合わせた理由を説明してから始めます。また、実演は撮影し、授業後に各自自分の実演を見て、振り返り学習をします。
 絵を描くことや語りの得意な学生もおり、また魅力的な工夫もいろいろと見られます。子どもたちを本の世界にいざなうさまざまな方法を身につけることも、司書課程における大切な学びのひとつです。


報告:岩崎 れい
  


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2015年01月09日

学生エッセイ 「平家武将列伝」その2

 榎本ちあき   「平家一の猛将 平教経」
        (人間文化学科4年次生、日本語と古典文化ゼミ所属  和歌山県立那賀高校出身)


  源氏武将といえば源義経がとても有名である。一方、平家武将は武士であるにも関わらず、武士の本分を忘れ、軟弱な貴族と化していった。その平家一門にあって、源義経と真っ向から対決した人物が平教経である。
 
   

  教経は平清盛の弟・教盛の次男である。天下一の強弓の使い手と言われ、追い詰められていく平家を支え、ほとんどの源平合戦に出陣し、源氏を苦しめた。

  都落ち後の水島の戦いでは、味方の船を綱で繋ぎ、板を敷いた陣を築き、馬を同乗させるという戦法を命じ、平家を勝利に導くことになる。この勝利を機に平家は勢力を挽回し、教経は下津井・福良・沼田・西宮・吹井・今木と全ての戦(六箇度合戦)で勝利を収める。福良までは父と兄との共同作戦であったがこれ以降は彼一人の功績である。力強いだけでなく、その場に応じた作戦を立て、兵を従える統率力を持った教経は人々にとって斜陽の平家を救った英雄だっただろう。彼自身も「教経命ある限りは何度でも、いかに強い敵であっても大将軍を引き受けて打ち破りましょう」と戦に絶対的な自信を持っていた。

  その教経と義経が初めてあいまみえたのが屋島の戦いである。義経は嵐の中に船を出し、奇襲をかけてきた。油断していた平家軍が右往左往する中、鎧直垂を脱ぎ、軽装になった教経は強弓で義経の片腕である佐藤継信を討ち取るなどの功績をあげる。

  壇ノ浦の戦いでは平家一門が入水してゆく中、大太刀と大長刀で奮戦。その後、知盛の「平家滅亡はもう決まったのだから、無益な殺生をするな」という言葉に、義経一人に狙いを絞るのである。俊敏に逃げる義経を追うが、義経に八艘飛びで逃げられてしまう。教経は鎧を脱ぎ捨て丸腰になり、大力な武士二人を両脇に抱え、「貴様ら死出の山の供をせよ」 と海に沈むのであった。教経はその時、二六歳で若い武人だったが、平家の英雄にふさわしい壮絶な最後である。

  義経をあと一歩の所まで追い詰めるなど、猛将ぶりは平家一門の中においてとりわけ目立っている。 そのため平家物語などに見られる教経は、典型的な武人肌の熱血漢として描かれていることが多い。しかし彼は武人として戦う姿勢に厳しい一方で、不器用ながらも深い情を持っていた人物であったと考える。一ノ谷の戦い前、兄・通盛が妻との別れを惜しんでいるところを、「そのような心構えでは戦場で不覚を取りかねない。」と、通盛を窘める(しかし通盛は一ノ谷で討死)場面や、屋島の戦いで奉公人として可愛がっていた菊王丸が討死すると、戦意喪失し、戦場から去ってしまう場面などが印象的である。

  王城一の弓取りと謳われた教経に小柄だった義経が直接切り結めば教経の敵ではなかったであろう。ゆえに壇ノ浦の戦いで、義経は教経から八艘跳びで逃げなければならなかったのである。彼は武士同士の一騎打ちが戦の常識だった時代に、思いがけない場所からの逆落としや嵐の中の奇襲を使って戦わなければならなかった相手だったのである。

  力を失っていく平家の中で武士としての意地を見せた教経。平家再興のために最前線で戦い続け、最後は武人として華々しく散った彼の活躍をもっと多くの人に知ってもらいたいと思う。

平教経をはじめ平家一門が入水した壇ノ浦
平教経をはじめ平家一門が入水した壇ノ浦(山口件下関市)


  


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2014年12月27日

悲劇の美男子 平維盛

 
 
 
 人間文化学科の「日本語と古典ゼミ」に所属する4年次生 榎本ちあきさん(和歌山県立那賀高校出身)は、日本の歴史に深い造詣をもっています。とりわけ、新撰組隊士と平家の武将については、歩く人名辞典と言っても過言でなく、一人ひとりの詳細な事績について、すべて頭に入っていて空で言うことができます。

 そんな彼女ですから、卒業論文も、「平重衡人物考」と題した本格的な研究を、難なく楽しく、早々と書き上げました。自分が大好きなことについて書くわけですから、楽しくてしかたがなかったばかりか、もう1本、違うテーマで書いてみようかと思ったほど有意義な時間を過ごせたそうです。

 彼女のそんな思いを無にせず、そのエネルギーを積極的に活かしてもらうため、平家の武将をテーマにエッセイを書いてもらうことにしました。

 何回シリーズになるかは分かりませんが、しばらく榎本さんの平家武将論におつきあい下さい。   

 以下、その作品を掲載します。                      【指導教員 堀勝博】






 榎本ちあき   「悲劇の美男子  平維盛」

 日本の女性の憧れ、光源氏。その再来と呼ばれた人物をご存じだろうか。この長い日本の歴史の中で人々から絵にも描けない美しさと大絶賛された人物は平維盛くらいであろう。
 彼は、平清盛の長男・重盛の息子である。生まれた時から平家の嫡流としての運命を背負っていた。
加えて維盛は相当なイケメンだったのである。1176年、後白河法皇50歳の祝賀で、烏帽子に桜梅の枝を挿して青海波を舞い、その美しさから桜梅少将と呼ばれるほどである。
 その一方で、嫡孫でありながら彼の立場は危ういものでもあった。父・重盛は清盛の長男とはいえ正室・時子の息子ではなく、維盛の妻は鹿ケ谷事件の首謀者・藤原成親の娘であったため一門からの風当たりはきつかったと考えられる。
 そんな中、治承・寿永の乱が勃発。維盛は総大将となり富士川の戦いに出陣。思うように兵が集まらず、凶作で糧食の調達もままならなかったが甲斐源氏討伐に向かった。撤退の命が出た夜、富士沼の数万羽の水鳥が飛び立ち、その羽音を夜襲と勘違いした平氏軍は総崩れとなって潰走する。
 1183年、倶利伽羅峠の戦いでも大将軍として出陣するが木曽義仲の戦略に嵌り大敗北。
そして都落ちの際、妻子との別れを惜しみ、遅れた維盛や弟たちは裏切りを疑われるほど重盛一族の立場は危うくなる。そして維盛は一ノ谷の戦い前後、陣中から逃亡する。のちに高野山に入って出家し、27歳で那智の沖で入水した。
 このことから、維盛は戦に弱く、一門を見捨て逃亡したダメな嫡流だと評価されることが多い。確かに維盛は、病床にあった重盛に大事な黒塗りの太刀を託されただけでショックを受け、出仕もできず寝込んでしまうほど繊細であった。
 しかし、維盛は常に父・重盛につき従い、それにより平家の嫡男としての素養、覚悟を身につけていったと考える。それゆえ、富士川では麓で惨敗しながらも維盛は退く気はなかった。伊藤忠清が撤退を主張したため撤退を余儀なくされたのである。富士川での汚名返上のため、出陣した倶利伽羅峠の戦いでは敗北してしまった。
 都落ちで一層危うくなった重盛一族の立場、自分の敗北により力を失っていく平家一門に維盛は自らの無力さを悟ったのではないだろうか。一門を見捨てたのではなく、清盛の息子(維盛の叔父)である宗盛・知盛が中心となり平家再興を目指す一門には宗盛らの兄を父に持つ微妙な立場の嫡流で戦に弱い自分の存在は邪魔なものだと思ってしまったのであろう。
 栄華を極めた平家一門。その嫡流として生まれた平維盛。その美貌や、繊細さは平安の貴族社会にはふさわしかったが、武家社会へと移行する荒れた時代には合わなかっただけなのである。平維盛は決して平家一門を見捨てた嫡流ではなく、武家にも貴族と対等に渡り合えるくらい雅で美しい人物がいたという平家一門の繁栄を象徴する人物なのである。

 
  


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