2018年08月10日

科目紹介 「キリスト教美術」

大学もついに夏期休暇に入りました。試験やレポートを乗り越えた学生さんたちが充実した時間を過ごすことを願いながら、教員も一息つきたいところです。

さて、今日は学科教員が担当している科目のひとつ「キリスト教美術」をご紹介したいと思います。せっかくカトリックの大学で学ぶからには、教会や展覧会で宗教画を見た時に少しでも自力で主題がわかるようになりたいものです。

科目の目標は「4世紀以降、長い時間をかけて成立したキリスト教美術には、繰り返し描かれ続けてきた主題と表現上の約束事がある。さまざまな地域・時代に制作された作品を通して、未知の作品に出会ったときにも、ある程度主題を推測できる力を養うことを目指す」です!
しかし、必ずしも美術になじんだ受講生ばかりではないので、たくさん作品を見ることを楽しみながら、基本的な知識を得ることを目標にしています。旧約聖書・新約聖書・様々な聖人のエピソードから、代表的なものを解説していきます。

主題によっては、聖書には必ずしも記述がないけれども、派生的に発展したものがあります。たとえば「エジプト逃避途上の休息」は、福音書に語られる「エジプト逃避」(聖母マリア、幼子イエス、聖ヨセフは、ヘロデ王から逃れてエジプトに行き、ヘロデが死ぬまでそこにとどまった)から生まれた主題です。長旅の途中で、荷物をおろしてくつろぐ聖母子の姿が中心になりますが、美しい風景を描く良い機会でもあるので、画家たちに好まれました。
写真はパティニールという人の作品(1519-24年)です。緑・青の色が美しい広大な風景をじっくり鑑賞したいところです。




「エジプト逃避途上の休息」は一度知るとあまり間違えない主題だと思いますが、少しぼんやりしていると間違えることもあります。たとえば食事の場面には特に重要なものがいくつかありますが、次の二つの作品を観察してみてください。





最初の作品は、《最後の晩餐》。イエス・キリストが弟子とともにとった最後の食事ですが、これは「最初のミサ」でもありますし、「この中に私を裏切る人がいる」と衝撃の発言に弟子たちが動揺する劇的な場面でもあります。イエスを囲む12人の弟子たちの反応が見どころになります。有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの作品(1495-98年)。

二番目の作品は、《カナの婚礼》。婚礼に招かれたイエス・キリストが、ワインがなくなってしまったときに、水をワインに変えたという奇跡の場面です。ポイントは、水を入れられた大きな甕が描かれていること。描いたのはジョットで1304-1305年の作品です。

期末試験では、講義では見なかった作品の画像を渡して、主題をあてるという問題も出しました。今回は《カナの婚礼》も出ましたが…受講生の皆さんは、わかったかな? 

(科目担当: 吉田朋子)  

Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 18:17Comments(0)授業紹介カトリック教育国際文化領域(芸術と思想)オープンキャンパス・AO入試

2018年05月16日

薔薇が咲いています 花のある大学67


毎年、この季節は、
キャンパスのあちこちで、
薔薇が花開いています。



本学が薔薇を大切にするのは、
薔薇が、マリア様の象徴だからです。


西洋絵画でも、
聖母マリアと薔薇が、
共に描かれることがあります。



薔薇を眺めながら、
キャンパスを散策するのも、
良いかと思います。


報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 20:40Comments(1)新館・校舎紹介カトリック教育

2018年04月07日

門は開かれる 入学式みことばの祭儀の言葉


入学式みことばの祭儀で、
紹介された聖書の一節です。



マタイによる福音(7:7~8)

そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、
探す門は見つけ、
門をたたく者には開かれる。

(みことばの祭儀では、
12まで紹介されましたが、
ここでは8まで引用しています。)



これをふまえ、大塚乾隆神父は、
次のような話をされました。


人に与えられるものは、
神が決めるものです。
必ずしも自分で、
選ぶことができるわけではありません。

人は、神が与えてくれる、
様々な門をたたいてみると、
良いでしょう。

そこに、人との出会いや、
発見があります。


また、逆に門がたたかれる
場合もあります。

その際に、私たちは、
門をたたく音に、
気づくことができるように、
耳を傾ける必要があります。


耳を傾け、門をたたき、
新たな出会いを広げられると
良いでしょう。


ここからは、私の感想です。

大塚神父には、
新しい出発をしようとする、
新入生を寿ぐ言葉を、
示していただいたのだと思います。

門をたたかないと、
新しい出会いはありません。

そこには、一歩を踏み出す、
積極的な気持ちが必要でしょう。

また、向こうから門をたたく音に、
注意しないと、
出会いを逃している場合もあります。

受け止める気持ちも、
必要だということですね。


求めて、一歩踏み出し、
求められることに気づくため、
周囲に目を向ける。

そういう気持ちの持ち方が、
新しい出発を豊かなものと、
するのでしょう。


報告:長沼光彦


  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 20:57Comments(0)カトリック教育

2018年03月12日

友のために命を捨てる 卒業式の聖書の言葉


本学は、カトリック校ですので、
卒業式で、聖体賛美と祝福式が行われます。


卒業生の前途を祝福すると共に、
カトリックの精神を思い起こすためです。


式の中で、聖書朗読が行われました。
ヨハネによる福音(15章11~17節)です。

今回お招きした、大塚喜司教は、
これをふまえて、お話をされました。


関わる内容を、引用いたします。

「わたしがあなたがたを愛したように、
互いを愛し合いなさい。
これがわたしの掟である。
友のために自分の命を捨てること、
これ以上に大きな愛はない。
わたしの命じることを行うならば、
あなたがたはわたしの友である。」


大塚司教は、現在は、
「自分ファースト」がまかりとおり、
誰かのために何かをしよう、
という気持ちが、
二の次にされているのではないか、
とおっしゃいます。

相手を優先する気持ちが、
第一の価値とされていない、
というのです。


ここからは、私の考えです。

確かに、自分の利益を優先する方が、
この世では得することが多いかもしれません。

しかし、キリストは、
それが、人間にとって第一の価値か、
と問うているわけです。


人を優先することが難しいのは、
当たり前です。
命を捨てるなど、なかなか、
できないことです。

それでも、
大塚司教の話にあったように、
それを成す人はいるのです。

そこには、どういう違いがあるのでしょう。

おそらく、
この世での食べたり、遊んだりすることとは、
異なる喜びを、知っているからだと思います。

人と共にある喜びを知る人は、
その人を大切に思うから、
その人のために、
自分を犠牲にすることもできるのでしょう。


命を捨てるところまで、
ゆくのは、難しいのですが、
人とある喜びについて、
あらためて考えてみることは、
それほど困難ではないでしょう。


報告:長沼光彦


  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 21:54Comments(0)カトリック教育

2017年12月26日

ペットボトルツリーはみんなでつくりました

12月18日月曜日には、
ペットボトルツリーを点灯しました



ペットボトルツリーは、
名前のとおり、ペットボトルで作った、
クリスマスツリーです。

明かりを点けると、
ペットボトルに見えない、
美しさです。



一昨年、
がん患者さん支援の取組みなどをする、
リレーフォーライフの活動で、
本学の学生が作ったのが始まるです。

今年も点灯しようと、
いうことになり、
12月18日に、組み立てられまた。



制作総指揮は、
子ども教育学科の、
藤本陽三先生です。



使用するペットボトルは、
1000個。

これを、木でつくられた骨組みに、
据えていきます。


ボランティアの学生と、
教職員で、ボトルを挿していきます。


リレーフォーライフの企画からはじまり、
有志でつくりあげる、
本学ならではのクリスマスツリーです。


報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 23:49Comments(1)カトリック教育

2017年12月25日

クリスマスに何を願う 大塚神父のことば


12月20日のノートルダムクリスマスでは、
大塚乾隆神父からお言葉をいただきました。



皆さんは、いいことをしないと、
キリストは訪れないと思っていますか、
という問いかけから、
お話ははじまります。


キリストは、救い主なのですが、
救い主とは何でしょう。


救い主は、病気にならないように、とか、
いやなことが起こらないように、
と願うものではありません。


人間と神をつなぐのが、
救い主だというのです。


人間は、神に創造されながら、
神の意思にさからい、
この世を乱してきました。


その人間が、神にゆるされ、
神の意思にかなった生き方が、
できるような、契機へと導くのが、
救い主です。




ですから、救い主には、
願いをかなえてもらおうとするのではなく、
救い主を思いながら、
神の意思にかなう生き方をした方がよい、
ということになります。



たとえば、
いやな人、苦手な人がいるとしたら、
その人たちに、メリークリスマスと言うことが、
神の意思にかなうことになります。




いやなことは、人との和合によって、
むしろ解決できる、ということでしょう。

そういう生き方をすることで、
神の意思に近づくことになるのだと、
思います。


報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 16:45Comments(0)カトリック教育

2017年12月24日

ノートルダムクリスマスのページェント


本日は、クリスマスイブです。
12月20日に本学で行われた、
ノートルダムクリスマスの模様をお知らせします。



ノートルダムクリスマスは、
ノートルダム女学院の、
小学校、中学高等学校、大学の、
3校によって行われる催しです。



劇、音楽、祈りからなる、
ページェント(聖劇)を、
行いました。


まずは、総合司会の、
実行委員の吉田智子先生が、
ごあいさつをします。



中学高等学校の、
管弦楽団による演奏で、
オープニングとなります。




クリスマスが、
キリストの生誕を祝う日であることを、
ナレーターが紹介します。


(司会、ナレーターは、
大学人間文化学科の学生が務めました。)



聖歌を務めるのは、
中学高等学校と大学の、
合唱団です。


オルガンの演奏は、
大学人間文化学科の、
久野将健先生です。



小学校の生徒たちも、
聖歌に加わります。



本学ハンドベル部も、
演奏に加わっています。



そして、いらしていただいた
大塚乾隆神父から、
お言葉をいただきます。




劇は、キリストの生誕を、
表すものです。
各校の学生、生徒が、
演じています。



最後に、この世に降誕したキリストのもとより、
会場の皆さんに、光が届けられます。


ろうそくの明かりを、
キリストの光と見立てて、
会場の皆さんに届けます。

キリストの光は、
この世の希望です。

キリストが生誕したことにより、
人間に希望がもたらされたことを、
聖劇は表現しているのです。


報告:長沼光彦

  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 22:15Comments(0)カトリック教育

2017年12月20日

ノートルダムクリスマスを開催しました


本日、ノートルダムクリスマスを、
開催しました。


多くのご来場ありがとうございます。


ノートルダム女学院の、
小学校、中学高等学校、大学の、
3校が集まる、
クリスマスイベントです。

それぞれの学校の生徒や学生が、
管弦楽、合唱、演劇、ナレーションなど、
得意な分野をもちよって、
聖劇、ページェントを完成させました。




それぞれどのような活躍をしたのか、
あらためてお知らせします。


長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 23:25Comments(0)カトリック教育

2017年12月02日

クリスマスイルミネーションと待光節

昨日のクリスマスイルミネーションの話を、
お読みになって、
12月に入ったばかりで、
クリスマスとは、気が早いなと、
お思いになったかもしれません。



実は、光を灯すことは、
カトリックの行事なのです。

待光節(アドベント)という、
降誕祭(クリスマス)の前の、
4週間に行われるものです。


カトリックにとって、
クリスマスは、
救い主イエスが、
この世に降誕した日です。

そのクリスマスを迎えるために、
毎週儀式を行います。

地域によって行うことは違うようですが、
本学の母胎となる、
ノートルダム修道女会は、
最初の週の日曜日から、
ろうそくに火を灯し、
週をおうごとに、
ひとつずつ増やしていきます。



カトリックにとって、
光とは、
救い主イエスです。

そのイエスの降誕を、
待ち続ける12月の4週間が、
待光節です。


本学のイルミネーションも、
待光節のための、
灯りなのです。



(待光節については、
昨日の、学長、理事長の話のなかで、
紹介されました。)


報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 22:46Comments(0)カトリック教育

2017年12月01日

クリスマスイルミネーション点灯式を行いました


本日、12月となり、
クリスマスを祝う、
イルミネーション点灯式を、
行いました。



まずは、学長、理事長が、
集まった皆さんに、
挨拶をいたしました。




そして、学長のかけ声と共に、
正門正面の、
ユージニア館、
グラスタワー内の、
イルミネーションが点灯しました。



その後、ハンドベル部による、
クリスマスソングの演奏です。



ちょっと寒い夕方でしたが、
クリスマスを祝う月が始まりました。


下鴨本通り側の、
ヒマラヤ杉にも電飾が付けられ、
大きなクリスマスツリーとなっています。



お隣の小学校側にも、
受胎告知のイルミネーションが点灯しました。



京都北山の、
ちょっとした名物になっているようです。


よろしければ、
一度おいでください。


報告:長沼光彦

  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 23:49Comments(1)カトリック教育

2017年11月15日

物故者ミサを行いました


本学では、年に一度、
京都ノートルダム女子大学に関わられた方の、
物故者ミサを行っています。



本日は、その追悼ミサです。


親しい人が亡くなるのは、
悲しいことですが、
カトリックでは、
神の御許に迎えられることだと、
考えます。


新しい生の始まりとも、
永遠の世界に迎えられるとも、
考えられます。


現世にいる私たちは、
この世の務めを終えた方たちとの、
別れを惜しむとともに、
神の世界にある方たちに、
あらためて思いを致すことになります。


悲しむだけでなく、
現世での関わりや行いを、
しみじみと思い起こす機会と、
考えてみるのも良いかもしれません。


報告:長沼光彦
  
タグ :物故者ミサ


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 16:49Comments(0)カトリック教育

2017年04月16日

日本でもイースター


本日は、イースター(復活祭)です。


日本でも、イースターを、
行おうという企画があります。

テレビのCMで流れているものでは、
ユニバーサルスタジオジャパンの、
ユニバーサル・イースター・セレブレーション、
があります。


ところで、
みなさんは、
イースターをご存知でしょうか。

復活祭の名のとおり、
キリストの復活を祝う日です。

教会でも行事が行われますが
民間では、たまごを探すイベントが、
行われたりします。

イースターエッグといい、
もとは生命の象徴として、
考えられたようです。



日本で、大々的なイベントとなったのは、
近年のことのようです。

ただ、欧米の文学作品などを通じて、
ご存じだった方も多いかと思います。

スヌーピーなど、漫画にもエピソードとして、
登場します。


せっかくですから、
イースターのいわれも知って、
春の訪れを祝うのも、
楽しいかと思います。



報告:長沼光彦


  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 22:44Comments(0)カトリック教育

2017年04月08日

人を尊重すること 入学式感謝のミサ


4月3日の入学式では、
感謝のミサを行いました。

新入生の皆さんにとっては、
大学で行う初めてのミサです。

北村善朗神父をお招きして、
式を行いました。




式では、マタイによる福音7章7~12が、
朗読されました。

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
 求めなさい。そうすれば、与えられる。
 探しなさい。そうすれば、見つかる。
 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
 
 あなたがたのだれが、
 パンを欲しがる自分の子供に、
 石を与えるだろうか。
 魚を欲しがるのに、
 蛇を与えるだろうか。

 このように、
 あなたがたは悪い者でありながらも、
 自分の子供には良い物を与えることを知っている。
 まして、あなたがたの天の父は、
 求める物に良い物をくださるにちがいない。
 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、
 あなたがたも人にしなさい。
 これこそ律法と預言者である。


これをふまえ、北村神父は、
次のようなお話をされました。


愛するということの、
本当の意味を知ることが大切です。

好き嫌いということは、
本当の愛ではありません。
好き嫌いは感情から発するものです。

本当の愛は、好悪を超えて、
相手を尊重することです。





ここからは、私の考えたことです。

本当の愛を意識しない人は、
その人が本当に必要としないものを、
与えようとすることがあるでしょう。

つまり、相手を尊重しないで、
自分の満足を優先するからです。


とはいえ、
自分の思い込みを修正して、
相手の本当に必要なものを、
与えるのは、
なかなか難しいように思います。

自分の子供は、はじめから、
自分と結びつきがありますが、
他者とは、はじめから、
そういう結びつきがあるわけではありません。

他者は、単なる知り合いではなく、
まさに尊重すべき相手、
自分の子供のように大切できるような相手、
として見直す必要がある、
ということでしょう。

聖書の言葉の中には、
隣人を重んじる言葉が、
多くあります。



報告:長沼光彦


   
タグ :聖書入学式


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 20:53Comments(0)カトリック教育

2017年03月18日

本当に選ぶべきもの 卒業式 聖体賛美と祝福式のことば


卒業式の、聖体賛美と祝福式では、
ルカによる福音(9章22~27節)が朗読されました。



 そのとき、イエスは弟子たちを戒め、
 次のように言われた。
 「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、
 律法学者たちから排斥されて殺され、
 三日目に復活することになっている。」
 それから、イエスは皆に言われた。
 「わたしについて来たい者は、
 自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、
 わたしに従いなさい。
 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
 わたしのために命を失う者は、それを救うのである。
 人は、たとえ全世界を手に入れても、
 自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、
 なんの得があろうか。
 わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、
 自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、
 その者を恥じる。
 確かに言っておく。
 ここに一緒にいる人々の中には、
 神の国を見るまでには決して死なない者がいる。」

これをふまえ、大塚喜直司教は、
次のような話をされました。

現代は、勝ち負けを決める時代で、
尊重と助け合いの精神が、
見失われることがあります・

しかし、そこで、正しいことを選択していくことが、
必要でしょう。

先のキリストの言葉も、
目先の利害に囚われて、
自分の命、本当の生き方を捨てている者への、
警告ということです。


私たちは、目先にあること、
あるいは、成り行きにまかせて、
理想、信念をないがしろにすることが、
ままあります。

そんなことをしても、幸せになれない、
聖書の言葉は、
そんなことを教えてくれます。


報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 16:59Comments(0)カトリック教育

2016年12月25日

光を待つクリスマス ノートルダムクリスマス2016より

クリスマスをいかがお過ごしでしょうか。

ノートルダムクリスマス2016での、
一場修神父のお話を、ご紹介します。



一場修神父の話は、
クリスマスの本来の意義、
キリスト降誕が何をもたらしたか、
というものです。



今の世の中は、
人を傷つけ合う現実があります。

これは悲しいことですし、
マスコミも、そういう世の中が、
間違っていることを報道します。

にもかかわらず、
傷つけ合う現実がなくならないのは、
なぜでしょう。




一場修神父は、
本来は闇の現実である、
そういう世の中に、
人は慣れてしまうものだ、
とおっしゃいます。

場合によっては、
むしろ、それが心地よくなり、
その現実から出たくなくなるのです。


そういう人々に、
イエスの光が、
闇の現実から抜け出す勇気を、
与えてくれる、というのです。

それが、キリストが、
人間の世に、希望を与えることなのです。



少し、私の解釈を付け加えます。
今の世の中は、基本的に、
競い合い、成功を勝ち取る世の中です。

それ自体は、正しく評価されるなら、
悪いことではないでしょう。

ただし、競争に負けた人にも、
何らかの助けは必要でしょう。
自分が負けたときのことを考えれば、
助けが必要なことは、
じゅうぶんに理解されるはずです。


とはいえ、勝つことにばかり目が向くと、
助けが必要な人を忘れてしまうことがあります。

また、勝つことが目標になると、
意図的に相手を貶めることを、 
してしまう場合があります。

こういう心理状態を、闇の現実、
というのだろうと思います。




その闇から脱するためには、
どうしたら良いでしょう。

今の自分とは異なる価値観、
本来人間が持つべき、
助け合う気持ちを思い出すことが、
必要でしょう。

そういう気持ちを思い出させるものが、
変わらない理想、不変の真理、
神の言葉、ということになるのだと思います。



キリストを信仰すると否とにかかわらず、
闇の現実を脱するためには、
自分の欲や感情とは、
別の価値観が必要でしょう。

そういう価値に目覚めれば、
心に光が差してきたように、
感じるのではないでしょうか。


ノートルダムクリスマスで、
ろうそくの火が、キリストの元から、
会場へと届けられたのも、
キリストの希望の光を表しているのです。


(カトリック校である本学のイルミネーションも、
世のイルミネーションとは、
異なる意味合いを持っていると思います。)


毎度申し上げますが、
私自身は、むしろ、闇の現実に、
囚われるような、凡庸な人間です。

クリスマスという機会や、
信仰の言葉に触発されて、
人間のよりよい生き方を、
思い起こし、書き記すだけです。




報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 17:00Comments(0)カトリック教育

2016年12月23日

Notre Dame Christmas 2016 の司会・朗読

2016年12月19日(月)、

本年も「Notre Dame Christmas 2016」が開かれました。



このクリスマス行事は、
ノートルダム学院小学校、ノートルダム女学院中学高等学校、
そして、本学、京都ノートルダム女子大学の合同で行われています。


小学生・合唱隊による歌、中高生のオーケストラ演奏、大学生のハンドベル、
そして、キリスト降誕の劇に、美しいキャンドル・・・・・・。
卒業生の中には、
これを見ないとクリスマスを迎えた気がしないという方も多くいらっしゃるのでしょう。
たくさんの方々が本学を訪れ、
このクリスマスのひと時を一緒に過ごしました。



さて、その中で、本年も、本学科の学生たちが活躍していました。
「司会」と「朗読」を担当した3名から感想等を伺いました。




まず、「司会」を担当した2年次生の平郡萌さんです。



-フレッシュマンセミナーでも、平郡さんの司会は、明るく安心感がありましたが、
 今度は、会場の厳かな雰囲気に調和する「音(声)」の美しさも要求されます。
 今まであまり意識してきていないようなことまで改善していく必要があり、
 大変だったかと思います。

平郡
「はい、私は今回、司会を担当させて頂いたのですが、
滑舌良く話すと同時に
荘厳な雰囲気になるように滑らかに話さなければいけないというところに苦労しました。

しかし、平野先生が毎日のように練習を見てくださり、
私自身にとっても良い経験になりました。
本番は緊張しましたが、
これからも屈することなく色んなことにチャレンジしていきたいと思います。」

 練習を通して、確実に美しい話し方になっていくのを実感していました。
 この意識の変化によって、
 普段の話し方もより美しくなっていくのではないかと思っています。



-続いて、「朗読」を担当した2年次生の田中ひかるさんです。

 この朗読は、言いにくいことばの連続ですが、
 ゆっくりと意味がよく伝わる朗読でした。

 会場中の人たちは、田中さんの朗読で、
 意味をかみしめながら聞くことができたことでしょう。

 田中さん、担当してみていかがでしたか?



田中
「最初朗読を頼まれた時は私なんかで良いのかなと感じました。
しかし、任されたからには、しっかりやり遂げたいと思い
毎日口を動かす練習をしました。

私は、なかなか関西弁のイントネーションが抜けなく
発音に苦戦しました。
音として覚えることで直すことが出来ました。

緊張すると早口になってしまうので、
台本に大きな文字で「ゆっくり」とかいて、
ゆっくり話すことを心がけました。

突然だった、共同祈願も
噛むことなく言えて本当に良かったです。
貴重な経験をさせてもらえたなと感じています。
 
人前で話すことに少し自信を持つことが出来たので、
就活などでも活かせれば良いなと思います。」



-はい、安心してすっと内容に入っていける朗読でした。
 そして、急遽、共同祈願も担当することになったのですが、
 すぐに人前で堂々と話せるだけの、
 度胸と技能を身に付けたのではないかと嬉しく思っていました。




 そして、最後に、同じく「朗読」を担当した
 3年次生の西山加寿恵さんです。

 西山さんは、表現力豊かな朗読でした。
 登場人物を意識して朗読していたのでしょうか。



 
西山
「私が担当したのは受胎告知の場面で、
天使とマリアが登場するのですが、
その声の違いを表現するのが難しかったです。

天使の言葉は優しくかつ力強く、
マリアの言葉は優しくあたたかく、と意識していても、はじめはなかなか上手に読めませんでした。

特に天使の言葉は、力を入れすぎて怖くなってしまったり、
逆に優しく読みすぎて言葉が弱くなってしまったりと思うようには読めなかったです。

しかし、練習するうちに徐々に感じが掴め、
本番では落ち着いて読むことができたと思います。

完璧とはいきませんでしたが、声の違いも表現できたかなと思っています。」




 おっしゃる通り、誰のことばなのか、
 また、その人の性格なども伝わってくるような朗読でした。

 西山さんの朗読によって、
 厳かでやさしく温かい会場の雰囲気が
 より一層作り出されていたように思います。

 皆さま、大変お疲れさまでした。
 本年もすてきなクリスマスに感謝いたします。


写真:長沼光彦
文: 平野美保  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 17:00Comments(0)話しことば教育学生の活動報告カトリック教育

2016年12月22日

ノートルダムクリスマス2016を開催しました


12月19日月曜日、
ノートルダムクリスマス2016を、
本学ユニソン会館にて開催しました。



ノートルダムクリスマスは、
学校法人 ノートルダム女学院に属する、
京都ノートルダム女子大学、
ノートルダム女学院中学高等学校、
ノートルダム学院小学校、
の3校が共同して行う、
クリスマスを祝う行事です。

(一般の皆様のご来場も受け付けておりました。)



学院では、今回の催しもの全体を、
ページェント(野外劇、催しの意味)と、
呼んでいます。

キリストの降誕を表した聖劇、
オーケストラや合唱による音楽、
聖書朗読をはじめとした祈り、
の三つの要素からなります。


中学高等学校のオーケストラの演奏から、
ページェントは開幕します。




キリスト降誕の物語が紹介され、
つづいて、小学校の生徒による聖歌合唱、
聖書朗読がおこなれます。


そして、一場修神父のお話ののち、
聖劇がはじまります。



また、物語の進行にしたがい、
本学ハンドベル部の演奏や、
中学高等学校の合唱団の歌が、
挿入されます。
(合唱団の指揮は、本学合唱団の学生が、
務めました。)







聖劇では、マリアに天使より、
受胎告知がなされます。



その後、降誕したキリストの元へ、
ベツレヘムの星に導かれた、
東方の三博士が訪れます。




聖劇の最後には、
生徒たちにより、
キリストの元から、
会場へろうそくの光が届けられます。



キリストがもたらした希望の光が、
会場の人たちのろうそくにともされます。



共同祈願を捧げ、
「きたれ友よ」「もろびとこぞりて」を合唱、
オーケストラの演奏で締めくくりました。


日々のあわただしさから、
ひととき離れ、
落ち着いた気持ちになることができました。




ここ数年、人間文化学科の学生は、
合唱団の指揮や、
聖書朗読などで、
ページェントに参加しています。

このお話はまた後ほど紹介します。

報告:長沼光彦

  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 17:00Comments(0)学生の活動報告カトリック教育

2016年12月19日

待降節(たいこうせつ)

クリスマスイルミネーションの点灯式で、
理事長よりお話があった、
待降節を紹介しましょう。



待降節は、カトリックで、
クリスマス(降誕祭)の、
4週間前の日曜日(安息日)から行う、
準備の期間です。

クリスマスというと、
サンタさんが来る、
楽しい祭り、
というイメージですが、
カトリックにとっては、
救い主キリストが、
この世に降り立った日です。

日曜日に始まるのは、
カトリックにとって日曜日は、
仕事を休み、
礼拝を行う安息日だからです。



4週間は、かつて旧約聖書の時代が、
4千年と考えられたことをふまえ、
救い主が現れるのを待ち望む、
気持ちをふまえて準備するのです。



修道会によって、
行う儀式は違う場合もあるようですが、
ノートルダム修道女会では、
4つのキャンドルを用意し、
日曜日を迎える毎に、
ひとつずつ、灯す明かりを増やしていきます。




人生においては、
自分の力で切り拓いていくことが、
必要でしょう。


一方で、待つということも、
必要かと思います。

自分の力を超えたもの、
自分がまだ及ばないもの、
信ずるに足るもの。

自分の力の他に、
これを認め、
じっくりと待つ、というところに、
敬虔な態度が培われ、
自分の心も広がり、
また救われるのではないか、
と思います。



カトリックの信者は、
キリストという、人間の救い主を信じ、
信じることで、自分の行いを振り返ります。

自分の至らないところを自覚し、
キリストの御心にしたがうよう、
自分の態度を改めます。

そういう敬虔な態度を、
人は持っても良いのではないか、
と思います。




報告:長沼光彦  
タグ :待降節


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 22:10Comments(0)カトリック教育

2016年12月10日

【急告】 2016年度 人間文化学科クリスマスコンサート開催のお知らせ



ご連絡がおそくなりましたが、今年も人間文化学科主催 クリスマスコンサートを開催します。







今年のプログラムは、以下の通りです。







去年よりも、出場者・曲目ともに少なくなりましたが、1年次生でバイオリンを弾く人が2名、ピアノを弾く人が1名、新たに参加します。

さて、どんな腕前を見せてくれるか、楽しみです。





プログラム後半は、おなじみの平石こづ恵(心理学部卒業生)、梶谷琴恵(人間文化学科卒業生)の両先輩が駆けつけてくれ、フルートとピアノの名演を聴かせてくださいます。

美しい音楽をたっぷり味わって、みんなで楽しくクリスマスを祝祭しましょう。





司会進行は、例により、話し言葉・コミュニケーション論を学ぶ平野ゼミの諸君が担当してくれます。

また、今年は、演劇活動をしている4年次生・横路久未さんが、ダンスパフォーマンスを披露する予定です。

いつもと違った雰囲気になりそうな、今年のクリスマスコンサートに、みなさまぜひご来場ください。


(報告者:堀勝博)



  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 17:00Comments(0)学生の活動報告カトリック教育

2016年11月25日

クリスマスイルミネーション点灯式


本日、11月25日金曜日、17時より、
クリスマスイルミネーション点灯式を、
行いました。



いずこでも、そろそろ、
クリスマスの飾りが見られますが、
カトリック校の本学では、
少し意味合いが違います。



クリスマスまでの、約4週間を、
イエス・キリストの降誕を待つ期間として、
待降節(たいこうせつ)〔アドベント (Advent)〕
といいます。


今年は、待降節第一主日を、
11月27日の日曜日として、
儀式が始まります。

日曜日は、学生がいないので、
少し早めに、
本日イルミネーションの点灯を行いました。

待降節については、
理事長が点灯前に、
お話しました。



イルミネーションは、
校舎ユージニア館のグラスタワー。



下鴨本通沿いの、
ヒマラヤ杉にしつらえた、
大きなクリスマスツリー。



そして、ノートルダム小学校側の、
交差点に面したモニュメント。
(小学校と大学で、一緒に、
イルミネーションをしています。)



3カ所で点灯されました。



イルミネーションが点灯されると、
皆で賛美歌、
「もろびとこぞりて」「しずけき」
を合唱しました。



点灯の瞬間、
参加した学生から、
わあ、と声があがりました。


そして、式のあとは、
記念撮影です。

学生が喜んでくれると、
何よりです。


イルミネーションは、
クリスマスまで行います。
よろしければ、お立ち寄りください。




報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 23:30Comments(0)新館・校舎紹介カトリック教育