2021年01月03日

植物園を散策しました(令和2年11月)

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


令和2年度の授業も残すところ1ヶ月足らずになりました。

後期の授業から、シリーズで、いくつか内容を紹介したいと思います。

本日は、11月下旬、3年次編入生と交換留学生を連れて京都府立植物園に出かけた記事を投稿します。




すでに暦の上では冬に入っており、花を見るにはあまりいい季節ではありませんでしたが、入場そうそうコスモスが咲き乱れていました。色とりどりの花が風に揺れる様子は、それらがすべてプランターに植えられたものとはまったく気づかぬほど、美しい風景でした。





紅葉狩りをするにもすでに遅いタイミングでしたが、まだ何か所かで美しい紅葉を見ることができました。




また、冬の花の代表、サザンカが時を得顔に咲いていました。学生の中には名前を初めて聞いたという者もいましたが、れっきとした日本原産の植物です。花は椿に似ていますが、落花時に花弁が飛散するところが特徴です。




他に印象深かったのは、冬なのに桜が咲いていたことです。後期から来日した香港の留学生は、予想外の桜にとても感激したようでした。




以下、学生たちが撮影した写真とコメントを付記します。

交換留学生 棃さん
今日植物園での散策は楽しかったです。こんなに大きな植物園には初めてです。香港で見たことのない植物が見られて、面白かったです。一番驚いたのは、冬なのに桜が咲いていたことでした。桜は春しか咲かないと思いました。それから、紅葉と楓は違うことも知りませんでした、今日は本当に勉強になりました。





編入留学生 余さん
植物園は小学校以来であり、久しぶりの花見は楽しかったです。また、最近はレポートに追われて、紅葉を見に行く時間がなく、今日は秋を満喫した気分でした。私はアウトドアが大好きで、香港にいる時はよくキャンプしていて、自然に囲まれる機会が沢山ありましたが。植物園には見たことない植物が見ることができ、とても新鮮でした。






編入学生 大野綾伽さん
「十月桜」は名前の通りサクラ属の花で、「コスモス」はサクラ属ではないものの、漢字で「秋桜」と書くことから、春に代表されるはずの桜が、秋にも鑑賞できるのだと感じ、面白いと思いました。





(報告者:堀勝博)


  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 19:47Comments(0)日記授業紹介京都

2020年12月29日

大学生のコミュニケーション能力向上のために

コミュニケーションの力を高めたいと考えている方はとても多いように思います。
今、グーグルで検索しますと、なんと!53,100,000 件もヒットしました。
世の中の関心の高さがわかるように思います。

ではどうすればその力を高めていくことができるのでしょうか。
そもそも、コミュニケーション能力とは何なのでしょうか。

中央職業教育開発協会(2004)が事務系・営業系職種において、半数以上の企業が採用にあたって重視し、比較的短期間の訓練により向上可能な能力を「若年者就職基礎能力」とし、その能力の一つである「コミュニケーション能力」を「意思疎通」「協調性」「自己表現力」としていました。

私が研究として取り組んでいる「コミュニケーション能力向上のための学修プログラムの開発」も、主に大学生を対象にしていること、授業を中心に育成していくこと、実社会へのスムーズな移行を想定していることから、この3つの力を柱にしています。
ちなみに、この3つ目の「自己表現力」は、状況にあった訴求力のあるプレゼンテーションのことを指しています。

この「意思疎通」「協調性」「自己表現力」は、コミュニケーション能力を、とてもうまく説明しているように思いますが、実際にそれを「育成」となると、どのような方法がよいのか難しい一面があります。

なにしろ、人によってスタート地点が大きく異なります。
もともと長けている人もいれば、そうでない人もいます。
苦手意識が強く、練習に対して羞恥心や抵抗感を持つ人も少なからずいます。
かといって、説明だけでは「理解」はしても、「行動」の改善には思うように結びつきません。


そのため、音声学や教育工学などの隣接諸領域の研究成果や、私自身のこれまでの音声表現の実践的研究をベースにモデルを考案し、それに基づき、実施できるよう実践的研究を進めています。

設計、実践(4年)、そして調査という方法をとっているため、やや時間がかかっていますが、その一部ながら、ようやく結果がまとまりつつあります。
また、何らかの方法で、その研究成果をご報告していきたいと思っています。



報告者 平野美保

  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 12:16Comments(0)教員の研究活動

2020年12月25日

基礎演習一斉授業(12月3日)

こんにちは。
12月23日、大学は年内最後の講義が行われました。
学生・教員の間で「良いお年を」という言葉が聞かれる一日でした。
そして、例年とは異なるクリスマスイブを経て、今日はクリスマスですね。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

さて、駆け込み気味ですが、
さる12月3日に行いました
基礎演習での授業の様子をご報告いたします。

国際日本文化学科では、実感しながら学ぶことを重視しています。
そこで1回生向けの基礎演習では、
年に2回程度、様々な分野で活躍されている方々をお招きして
お話を伺ったり、実演していただいたり、体験をさせていただいたりしています。
今年はコロナウイルスのため、なかなかこの「一斉授業」が開催できない状態が続きました。

しかし、ついに12月3日!
「日本画家 小田賢先生をお招きして
~日本画について学び、先生の指導で一緒にデッサンをしてみましょう~」
を開催することができました。

小田賢(おだ まさる)先生は、「創画会」の会友で、様々なコンクール・展覧会で
活動されている日本画家です!
なんと京都を代表する日本画家・橋本関雪(1883-1945)の曾孫でいらっしゃいます。



まず、先生の作品をスライドで鑑賞しながら、
作品について・先生ご自身について、お話を伺いました。

続いて、デッサンをしてみる時間となりました。
学生たちは持参したスプーンと配布された角砂糖を鉛筆でデッサンします。
教室は静かです・・・
学生の感想には「ほんとうに久しぶりに絵を描いた」「デッサンするのは中学生以来」というコメントも多かったですね。



途中だよーという人もたくさんいましたが、
小田先生が4人のデッサンを選んで、面白いところを講評してくださいました。





最後は、小田先生にいろいろな質問をする時間でした。
制作に関する質問から、少し人生に関わるような質問まで、
先生は丁寧に答えてくださいました。

学生の感想から一部抜粋しましょう。
「持っている絵具や筆の数が自分の想像していたものより遥かに多くて驚いた」
「普段どれだけ物や人を見ていないか気づくことができた」
「感受性と美に対する執着は比例しているし必要だと感じました」
「質問コーナーですべてのことを話してくださったのが良かったし、お話をもっと聞きたいなと思いました」
「私も「何をしたいか」ちゃんとしっかり覚悟を決めたいと思いました」

はじめて「画家」とお話したという人がほとんどでしたが、
日本画についてだけではなく、
多くを学んだ時間となりました。

(報告 吉田朋子)







  

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2020年12月01日

興味深い「論文」として ”リビング京都” で紹介されました!

本学科の吉田智子の研究内容が、「リビング京都 (2020年11月28日号)」で紹介されました。

「リビング京都」は、京都市内とその周辺地域に約40万部、毎週、無料で各家のポストに投函されているものです。

編集部の方がネットで研究内容の書かれた論文や活動報告を見つけて、2020年度からは小学校でもプログラミング教育が開始されているので、多くの読者の方々が興味を持つ、面白い研究テーマだと、取材に来て下さいました。




合計4名の京都の大学の先生の研究が紹介されており、それらは以下のwebでも読めます。吉田は3人目です。

https://kyotoliving.co.jp/topics/6850.html

また、webでは、リビング京都の誌面自体も見れるようになっていて、吉田が登場するのは2面目です。

リビング京都(2020年11月28日号)の誌面自体

この記事の中で紹介されている論文は、2020年度のPC Conferenceで発表した時の以下のものです。
吉田智子著「手芸や工作を利用して『情報の科学』を学ぶ授業実践 ―小学校での利用に先駆けた文系女子大学での実施報告―」
2020 PCカンファレンス、分科会発表論文、2020年8月 
https://gakkai.univcoop.or.jp/pcc/2020/papers/pdf/pcc003.pdf

取材に来て下さった編集者さんは、ネットでも読める以下の原稿を読んで、研究内容に興味を持ってくださったそうです。
吉田智子著 「手芸制作を通して楽しくプログラミング学習 ─ LilyPad Arduino でかわいくマイコン制御─」
情報処理学会誌「情報処理」2016年10月号に解説記事を執筆
https://www.ipsj.or.jp/magazine/9faeag0000005al5-att/5710peta.pdf


実際の紙媒体は、以下のような雰囲気でした。




この取材記事の中でも紹介されているように、本学ではプログラミングや情報科学を手を動かしながら学べる授業が実施されており、それを研究テーマにしている教員が紹介されたということでした。

報告者:吉田智子
  

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2020年07月28日

学生エッセイ  ― コロナ禍を過ごす学生の思いを綴る〔第6回 2年次生 西森結衣さん〕

コロナで変わったこと ―A子の話


          2年次生 西森結衣









 世界中で猛威を振るうコロナウイルス。私は先日二十歳になり、十代最後の思い出は自粛、自粛、自粛になってしまった。たまたま帰省した時期にウイルスが流行りだし、そのまま緊急事態宣言が出され実家で過ごすこととなった。もともとインドア派ということもあり、自粛生活はそんなに苦ではなかった。絵をかいたり、歌を歌ったり、ゲームをしたりしていたら、意外と一日は早いのである。自分がラプンツェルになったのだと思って過ごしてみればなかなかいいものだった。

 しかし、自粛生活が苦ではない私もコロナウイルスが流行って引っかかったことがある。それは自粛中のSNSの話である。緊急事態宣言の真っただ中であるにも関わらず、私のSNSのフォロワーで町に出かけ遊んだりしている人がけっこういた。遊んでいるというだけでも危険で恥ずかしいはずなのに、なぜそれをわざわざSNSに上げて発信するのだろう? その投稿を見た人が外出しても安全だと思い、外に出る若者が増え感染を招く…この負の連鎖に何故気づかないのか? 同じ若者としてすごく恥ずかしいと思った。私にできることは何もなく、せいぜい“#おうち時間”とつけて投稿するぐらいだった。




 コロナとSNSで、どうしても紹介したい話がある。私の友人、A子のことである。彼女は、去年から元気がなく、いろいろ相談を受けていた。何を言っても元気がなかったのだが、11月の終わりごろ、急に「ミニマリストになる!」と笑顔で報告してくれた。その笑顔は憑き物がとれたみたいで晴れやかだった。去年の年末、A子に「けっこう捨てるものがあったから、欲しいものあったら取りに来てー。」と言われ、私は家に行った。
A子の部屋に入ると…何もなかった。

 今考えると不自然なのだが、ミニマリストのミの字もない私は、「もう立派なミニマリストじゃん!」と呑気なことを言っていた。A子が要らないと言っていたものの中から、アイシャドウをもらって1階で映画を観ていた時、A子が「私、大学辞めようと思うんだー。」と笑いながら言った。将来の夢に向かって一歩ずつ足を踏み出していた私は「やめないほうがいいんじゃない?」ということを、正論という武器を使って話した。「わかった。もう少し考えてみる。」A子はそういった。

 帰りのバスの時間が近づいていたので、逃げるようにA子の家を後にした。帰り道で、もらったアイシャドウを忘れてきてしまったことに気づいたが、取りに戻る気にはなれなかった。

 それからしばらくしてA子はSNSを消し、音信不通になった。そしてコロナが流行りだし、緊急事態宣言が出された頃、2か月ぶりにA子から連絡がきた。久しぶりだったので半日ぐらい話していた。すると急にA子の声音が真剣になって、「私、自殺しようとしてたんだよね。」といわれた。驚いて声が出せないでいる私にA子は続けた。「死んだらお葬式でお金かかるでしょ?親に申し訳ないからせめて葬式代は…と思って身の回りの物売ってお金貯めてたんだよね。」驚いた私は、「そっかぁ、気づいてあげられなくてごめんね…」としか言えなかった。A子は「でもコロナが流行りだして立ち止まる時間が増えたから、ゆっくり休憩ができて、気づいたら大丈夫になってた。もう平気だから安心してね。」と続けてくれた。






 いろいろな人の命や自由を奪ったコロナだが、私の友達は不幸中の幸いで救われたのだ。そして、これはエゴなのかもしれないが、私は実はホッとしていた。A子が死なずにすんだことを。もし自分の友人が死んでいたら、私は自責の念に駆られていただろうし、それこそ負の連鎖が起こっていたかもしれない。

 私は自殺というのはタイミングだと思っている。さまざまな嫌なことを浮き彫りにしたコロナだが、コロナによってタイミングがずれて、結果的に私の友人は助かった。その意味で、このコロナに感謝さえしたいぐらいだ。

 ちなみにA子とは先日ショッピングに行った。「今年の夏に自分が生きていると思ってなかったなー。」なんて言いながら、一緒に夏服や夏コスメを選んだ。次は二十歳になってコロナが収束した時、一緒にお酒を飲もうねと約束した。



 (にしもり ゆい、国際日本文化学科 2年次生、香川県立津田高校出身








  


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2020年07月26日

学生エッセイ  ― コロナ禍を過ごす学生の思いを綴る〔第5回 1年次生 吉冨夢美さん〕


 下宿での自粛生活を過ごして




 待ちに待った大学生活。知り合いのいない土地で心機一転、学びたいことをとことん学び、友達をたくさんつくり、サークルに入って、初めてのバイトもして、不慣れなひとり暮らしで忙しくしているはずだった。しかし、現実は、新型コロナウイルスの影響で入学式も中止、授業も遅れて始まり、予想外の大学生活が始まった。


 新型コロナウイルス感染予防の自粛生活では、大学生活が始まることだけでも不安で仕方なかったが、さらに不安が膨らんだ。パソコンの使い方、大学生活、オンライン授業、ひとり暮らし、全てのことが初めて、そして予想外で前代未聞のことだらけで、その日のやらなければいけないことをこなすだけでも精一杯だった。


 大学では4月15日から、オンライン授業が始まった。パソコンを触るのも初めてで、使い方が全くわからず、最初は検索の仕方も分からなかった。manaba、campusmate、responなどの違いも全くわからず、授業を受けることがままならなかった。とにかく不安しかなかった。





 7月になっても、パソコンの使い方はまだおぼつかないが、ようやく何とか授業を受けられるようにはなった。オンライン授業の長所や短所も感じるようになってきた。オンライン授業の長所は自宅や実家、どこでも授業を受けられる点であろう。私は自粛中に法事でどうしても実家に帰らなければならなかった。新幹線の移動中や実家で授業を受けられる事は大変便利だった。実家に帰ることで授業を休まなければならないということもない。また、体調が悪い時も家で受けられると休まないで良いので、どこでも受けられるのはオンライン授業のいちばんの利点だと思った。



 しかし、オンライン授業は初めての先生方も多く、なかなか使いこなせてない先生の授業では、スムーズに進行しなかったり、質問しても返事が帰ってこなかったりして、大変不便に感じた。また、回線が乱れると、自分ではどうにもできないので、とても不便だった。



 下宿で独り過ごす自粛生活は、さすがに時間を持て余した。退屈を紛らわせるために何かしようと思った。私は、人見知りで人と話す時に話題を振ったり、話題を広げたりするのが苦手である。だから自粛中に、今まで興味のなかったジャンルに触れ知見を広げて、対面授業が始まった時の友達づくりに役に立てようと考えた。いろんな声優たちの活動や、ピアノが少し弾けるので、コードネームについて調べてみた。今までは全く知りもしないのに、面白くなさそうと決めつけて、近づかなかった分野だったが、実際に触れてみると、とても楽しくて、友達づくりのための知識をつけるだけのはずだったのに、すっかりハマってしまった。今まで知ろうともせず、勝手に決めつけていた自分が恥ずかしくなった。






 これからはまずきちんと知ってから物事に対する考えを持とうと思った。それと同時に自分の知らない世界を知ることの楽しさも知った。今では自分の知らないジャンルの趣味の世界を知ることが楽しくて仕方がない。その上、趣味の幅を広げると同じ趣味同士の友達ができ、自粛中にSNS上で人脈を広げることもできた。


 この3か月、予想外のことだらけの生活で、心機一転するつもりで知り合いがいない土地を選んだのが裏目に出て、独り暮らしは本当にしんどかった。だが、滅多にないこの辛い経験は、今後の人生で必ず役に立つであろう。


  (吉冨夢美〔よしどみ ゆみ〕 国際日本文化学科1年次生)







  


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2020年07月23日

学生エッセイ  ― コロナ禍を過ごす学生の思いを綴る〔第4回 2年次生 ド・フォン・タムさん〕






「シラバスってどこで見られる?」
「仮登録って何?」
「レスポンってどうやって入るの?」
「レポートはどうやって書いたらいい?」
「引用のやり方は?」
「図書館の本を借りたいけど、本をどうやって探すの?」


ここに書こうとしても書ききれないほど、多くの質問が新入生の後輩たち(ベトナム人留学生)からありました。コロナウイルスの時期に入学した学生たちは、新しいこと、わからないことばかりで、ほんとうに戸惑っていました。

 私は京都ノートルダム女子大学に入って1年経ち、2年生になったので、新入生からは「先輩」と呼ばれています。「先輩」の私は一年次のオリエンテーションで教えられたことを活かして、レスポン、マナバ、OPAC、仮登録などを後輩に説明しました。去年私が一年生だった時は、図書館の利用案内、何日もかけて履修登録の説明会など、多くのオリエンテーションが行われ、その時に、内容がわからなくて質問する人が多かった記憶があります。先生方が熱心に細かいことまで教えてくださいました。


そして、1年次の基礎演習の授業では、レポートの書き方や引用の方法などについて学びました。それらは簡単にできることではないので、何度も先生に質問をして、やっとのことで、慣れない大学の勉強が少しずつ理解できるようになりました。


しかし、新入生はそういうオリエンテーションや対面授業にまったく参加できず、自分で資料やマニュアルを読んで、独りで解決しなければならず、きっと悩んで苦労していただろうと思います。


対面授業に参加できないということは、一緒に入学した仲間に会えないし、友達を作ることもできません。友達ができなければ、大学生活の楽しさが半減します。指導してくださる先生と、一緒に勉強する仲間が教室にいる対面授業の機会が奪われ、今年2020年に入学した学生は、どれほど損をしているか、どんなに困っているか、自分の一年生を思い出しながら想像しています。


  7月から少しずつ対面授業が始まったので、新入生は先生と友だちに会って、話したり相談したりして、コロナで失った遅れが取り戻せるよう、願っています。

        (国際日本文化学科2年次生 DO HUONG TAM〔ベトナム人留学生〕)
  


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2020年07月20日

「ようこそ国際日本文化学科へ✨オンライン交流会」報告


蝉の声が聞こえ始め、少しずつ夏の到来を感じる今日このごろ。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。


4月にオンライン授業が開始してから、はや4か月。
そろそろ前期の授業も終盤に差し掛かっているところです。


本来4月であれば、
満開の桜と共に迎える「入学式」や
新入生歓迎イベント「フレッシュマンセミナー」を開催するはずでしたが、
このご時世で叶わずじまいに・・・。


この状況で大学に一度も通えず、
通常の大学生活を送ることができない1回生に対し、
「先生や先輩・後輩との距離の近い」この学科ならではの応援ができないか…!
という思いから、とある企画が動き出しました。

それが、『ようこそ国際日本文化学科へ✨オンライン交流会』です。

当日使用したスライド写真




当日は、充実した大学生活を送っている2~4回生、
計6名の先輩に出演していただき、
事前に頂いた1回生からの質問にお答えしていきました。


先輩も6人いれば、
それぞれ6通りの大学生活の過ごし方があります。


授業でのノートの取り方、
テスト勉強の仕方、
空きコマの過ごし方、
メイクの勉強の仕方・・・などなど、
頂いた質問への答えは、面白いことに誰一人と被ることがない様々な声が飛び交いました。
(少しでも1回生のみなさんの参考になれば嬉しいです)





1時間という限られた時間の中で、
不慣れなオンラインに四苦八苦しながらも
できるだけ多くの先輩の生の声をお届けできるようにと、
何度もオンライン上で集まり、準備を進めました。


当日は、1日に2度開催し、合計9名の1回生が参加してくださいました。
1回生の皆様からは、以下のような感想を頂きました。少しご紹介させていただきます。


本日はオンライン交流会を開催していただき、ありがとうございました!
まだ1度も通学が出来ていないので分からないことだらけなのですが、
質問にも的確なアドバイスやご回答をくださりとても嬉しかったです!


このような企画を用意してくださり、本当にありがとうございました。
先輩方のおかげで少し不安だった部分がなくなった感じがします。
先輩方や同級生の人たちと直接会える日を楽しみにしています。



我々もこのような感想を頂けて、本当に嬉しく思っております。



さて、ここからは交流会に協力いただいた上回生からのコメントもご紹介します。

私たち上回生は頼れる友人や先生方がいます。
しかし、1回生は右も左もわからない状態でオンライン授業になったため、
我々も心配していました。
そこで上回生が1回生のために何かやりたいということから、この企画が行われました。
1回生の皆さんがこの交流会で少しでも大学のことを知り、
それを活かしてくれたら、私たちも嬉しく思います。
私自身も初めて話す後輩や1回生の皆さんとの繋がりができ、成長できた交流会でした。
1回生の皆さん、上回生の皆さん、先生方のおかげで今回このような交流会ができました。
本当にありがとうございました。
(4回生 本間早春)


今回こうしてオンライン交流会のお声掛けを頂いて参加できたことは、
ナレーションや司会とはまた違った体験ができたと思います。
オンラインという特殊な環境の中で少しとはいえ
1回生と交流できたことは本当に嬉しかったですし、
自分自身の成長にもつながったと思います。
(3回生 近藤琴美)


このような大変な時期で大学にも行けず友達も作れず、
様々なことに戸惑っている1回生に少しでも役に立ててとても嬉しいです。
今後またこのような企画があれば是非参加したいです。
(3回生 ニュエン テイ トウ ジャン)


私たち2回生は、わからないことをすぐに相談できる相手がいます。
でも、そんな時に1回生は「どうしているんだ!?」と思うことがよくありました。
だから、今回の交流会を実施できたこと、嬉しく思います。
オンラインでの交流会は、なかなかない経験で、勉強になったことがたくさんありました。
少しでも、1回生の不安を和らげられたなら、幸いです。
(2回生 井原菜々子)


今回、このコロナ渦でも、なにか自分の糧になるようなことに挑戦したく、このオンライン交流会に参加させていただきました。
そして、1回生とお話しをさせていただくことで、去年のことを改めて思い返すこともできました。
大学に一年通った自分でもオンライン授業で不安な点がたくさんあります。
そんな中まだ、学校生活も交友関係も不安定な1回生はもっと不安であろうと考えていました。
その不安に対して今回のオンライン交流会で少しでも寄り添えたのなら幸いに思います。
たくさんの1回生の方の笑顔が見れてとても嬉しかったです。
企画してくださった先輩方、ご参加くださいました1回生の皆さん本当にありがとうございました。
(2回生 川嶋菜央)


 「離れていても繋がっている」
今回の交流会を通じて、私が強く感じたキーワードです。

このコロナ渦の中で、
様々な場面において人との距離を改める動きが見られました。

私自身も毎日通っていた大学に行くこともままならず、
いつも会っていた友人にも会えずのStayHome期間を過ごしておりました。

そのような中で、今回の交流会を開催するにあたり、
企画を一緒に立ち上げてくれた友人と、頼もしい後輩たち、
また様々な場面でご協力いただいた学科の先生方、
そしてなによりも、新しく入ってきてくださった1回生の皆さんとの繋がりが、
私の大学4年目のスタートを感じさせてくれるものとなりました。

今回の「オンライン交流会」で生まれたこの繋がりに感謝するとともに、
私自身の残りの大学生活にも活かしていきたいと思っています。



(報告:国際日本文化学科 4回生 米澤真樺)

  


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2020年07月17日

学生エッセイ  ― コロナ禍を過ごす学生の思いを綴る〔第3回 1年次生 Fさん〕







 周りの大学がどんどん入学式中止やオンライン授業転換という方針を出していくのをみて、「もしかしたらうちの大学もオンラインになるのでは!?」と内心期待していた。わたしは人と接するのが苦手だ。だから学校に行くのが嫌いだ。実際4月に入って自宅待機という知らせが来たときは、ぐちゃぐちゃでずっと気持ち悪かったお腹の中の緊張がスーッと溶けていくような感じがした。

 普段から家にこもっているから自粛期間も全く苦ではなかったし、わたしはオンライン授業のほうが対面授業より気が楽だった。今までは授業を受けるだけでもいろんな意味で苦しかったけれど、顔も見えない、声も聞こえない、というのがわたしにはとても救いだった。それが不便だと感じる人もいるかもしれないけれど。

 ネット環境が必要なことや、集中力が必要なことなど短所もあるけど、どこでも授業が受けられること、自分のペースで勉強できること、すぐに調べられること、自分の体調に合わせて受講時間が調整できることなど、オンラインならではの長所がたくさんある。だからこれからオンラインと対面が自由に選択できるような制度ができたらいいなあなんて思ったりした。

 高校時代、人間関係などであまりいい思い出がないから、大学生になったら自分が辛い思いをする関係、負担を感じる関係を作るのはやめようと思っていた。コロナに負けるなと、クラスの中にLINEグループができたり、どんどん横のつながりをつくろう、という積極的な動きが出てきたりした時は正直しんどかった。

 でも全く学校の人と関わらないのは無理があるし、普通に困りそうなので、対面授業が始まったら、また少しだけ頑張ろうと思う。








  


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2020年07月15日

学生エッセイ  ― コロナ禍を過ごす学生の思いを綴る〔第2回 2年次生 川嶋菜央さん〕







今を楽しむ



 昨年の春、私は大学生になった。中高一貫校で六年間同じ環境にいた私が大学生に入ってまず立てた目標は「とにかく、一回生は大学生活に慣れる」であった。そして、少しずつではあるが、新しい環境に慣れていく自分がいた。そして一年が経ち、次に自分が立てた目標は「二回生はもっと学校も遊びも楽しむ!」ということであった。しかしながら、二回生の始まりは「楽しむ」とは無縁の自粛生活になってしまった。

 最初のうちは「友人とこんな事がしたかった」とか「サークルで今までしたことのない体験をするはずだったのに」といった後悔の念がしきりに押し寄せてくる毎日であった。しかし、こんな状況でも、毎日過ごすうちに、見えてくることもたくさんあった。とくに、自分の将来について深く考えることが多くなった。

 私はふだん学校での学びは家に持ち帰らない主義だった。授業で出された課題はほとんど学校の図書館で取り組み、その日の学びはその日のうちに友人とやり遂げて帰宅するようにしていた。しかし、家で学ぶことが基本のオンライン授業を通して、家のプライベートな空間で学びに触れることで、これまでとは違う自然体で、等身大の自分と学びを結びつけることができたのだ。

 ある授業で「将来に今の学びが直接つながらないことは多い。しかし、ふとした時にその時の経験が役に立つことがある。」ということを教えられた。その言葉がなぜか頭から離れなかったので、深く考えてみた。そして「将来の何かにつなげるために、時間を無駄にせず、いろいろな経験をしよう。」と思うようになった。

 それ以降、積極的に授業で役割を担ったり、オンラインのイベントに参加したり、今もこうしてエッセイを書いたりしている。このコロナでの経験も、何か将来に役立つことがあるのだろうか。そう思うと今から楽しみだ。一見すると、何も動かない、何も見えない、単に機械的に黙々と課題をこなすだけのオンライン授業なのだが、私は一つの貴重な発見をし、意識と行動も変わって、この大切な時間、この今を楽しめているのだ。

       (国際日本文化学科2年次生 川嶋菜央; 私立光泉カトリック高等学校出身)



  


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