2018年03月12日
友のために命を捨てる 卒業式の聖書の言葉
本学は、カトリック校ですので、
卒業式で、聖体賛美と祝福式が行われます。

卒業生の前途を祝福すると共に、
カトリックの精神を思い起こすためです。
式の中で、聖書朗読が行われました。
ヨハネによる福音(15章11~17節)です。
今回お招きした、大塚喜司教は、
これをふまえて、お話をされました。
関わる内容を、引用いたします。
「わたしがあなたがたを愛したように、
互いを愛し合いなさい。
これがわたしの掟である。
友のために自分の命を捨てること、
これ以上に大きな愛はない。
わたしの命じることを行うならば、
あなたがたはわたしの友である。」
大塚司教は、現在は、
「自分ファースト」がまかりとおり、
誰かのために何かをしよう、
という気持ちが、
二の次にされているのではないか、
とおっしゃいます。
相手を優先する気持ちが、
第一の価値とされていない、
というのです。
ここからは、私の考えです。
確かに、自分の利益を優先する方が、
この世では得することが多いかもしれません。
しかし、キリストは、
それが、人間にとって第一の価値か、
と問うているわけです。
人を優先することが難しいのは、
当たり前です。
命を捨てるなど、なかなか、
できないことです。
それでも、
大塚司教の話にあったように、
それを成す人はいるのです。
そこには、どういう違いがあるのでしょう。
おそらく、
この世での食べたり、遊んだりすることとは、
異なる喜びを、知っているからだと思います。
人と共にある喜びを知る人は、
その人を大切に思うから、
その人のために、
自分を犠牲にすることもできるのでしょう。
命を捨てるところまで、
ゆくのは、難しいのですが、
人とある喜びについて、
あらためて考えてみることは、
それほど困難ではないでしょう。
報告:長沼光彦
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