2014年11月06日

カトリック教育センター主催「土曜公開講座」の「死の哲学」の紹介

本学では、週末を中心に、いろいろな講座が市民向けに実施されています。

人間文化学科の教員3名が兼務している「カトリック教育センター」主催の講座が、
10月11日(土)~11月29日(土)の間に、5回の土曜日に開かれ、のべ8種類の
講座が、無料で受けられます。

カトリック教育センター主催の公開講座については、以下のページをご参照ください。

 「今を生きるために キリスト教の思想・文化にふれる」開催のお知らせ
 http://www.notredame.ac.jp/news/detail.php?id=216&category=8


さて、2014年10月18日(土)には、以下の2講座が実施されました。



カトリック教育センター主催「土曜公開講座」の「死の哲学」の紹介
「18世紀後半のフランスにおける宗教画 
 ―ジャン=オノレ・フラゴナールの場合を中心に―」
      吉田朋子(人間文化学部 専任講師)


カトリック教育センター主催「土曜公開講座」の「死の哲学」の紹介
「死の哲学XII ―超越の図式(3)―」
      宮永泉(人間文化学部 教授)


今回は、宮永 泉 教授の「死の哲学」の10月11日の講話内容を紹介したいと思います。
以下の文章は、宮永教授によるものです。

カトリック教育センター主催「土曜公開講座」/宮永 泉 による講話

「死の哲学 XII -超越の図式(3)-」
第一回(2014年10月11日)講話、要旨


 1.過去11年かけて少しずつ明らかにしてきた私の死の哲学の骨組は次の通りである。-「死の忘却」の中で number one の論理に縛られ常に他者と競争して生きるよりは、「末期(まつご)の目」をもって一日一日大切に生きる only one の在り方の方が、より良い人生が送れるのは確実。人間は死によって、(1)無神論者の考えるように「無」になるのでもなく、(2)汎神論者の考えるように「神」になるのでもなく、(3)有神論(カトリック)者の考えるように一人一人神の「審判」の前に立たされる。(1)の死の理解を(2)へと深めるものは「虚無の自覚」であり、(2)を(3)へと深めるものは「魂の闇夜」である。
 ところで、上のような死の哲学を支えるパスカル的「超越の図式」が在る(cf.『サシとの対話』)。即ち世界と人間についての哲学的自覚は、<モンテーニュ的懐疑論→エピクテートス的汎神論→汎神論と懐疑論の対立→キリスト教>の順に深まっていく。
 2.そのうちモンテーニュ的懐疑論の全体像を簡単に言えば、それは理論的には懐疑論・実践的には安楽(repos)論の立場に立つ哲学である。


明日以降、「死の哲学XII ―超越の図式(3)―」の第二回(2014年10月18日)
の講話の要旨を公開します。

編集:吉田智子
写真:シスター中里郁子


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Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 15:43 │Comments(0)カトリック教育教員の研究活動

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