2018年10月23日
詩は目で見えないものを書く
日本文学特講は、
詩を読んでいます。
詩は、読みにくいと言われたりします。
それは、詩が、
目で見えるような世界を、
書かない場合があるからだと思います。
飯島耕一の「他人の空」には、
次のような一節があります。
空は石を食ったように頭をかかえている。
物思いにふけっている。
もう流れ出すこともなかったので、
地は空に
他人のようにめぐっている。
「空は石を食ったように頭をかかえている」
って、どんな光景なのでしょう。
そもそも、空は、
ものを食ったりしないわけですから、
その絵面が思い浮かびません。
ここは、そこで並んでいる言葉が、
思い浮かべさせる、
種々のイメージを、
組み合わせていくことから始めると、
良いと思います。
石を食う、のは、
何かつらそうだなあ、とか。
頭をかかえている、から、
何か悩んでいるのかなあ、とか。
言葉のひとつひとつが、
思い浮かべさせる印象から、
読み始めるわけです。
そうすると、
この空は、何かつらいことで、
悩みながら、もの思いにふけっているのかな、
と読むこともできます。
現実の風景にこだわらずに、
言葉ひとつひとつを味わってみるところから、
はじめてみては、いかがでしょうか。
報告:長沼光彦
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言葉というものは奥が深いですね。
「かつらえいじ」