君をばましてをしとこそおもへ ー堀勝博教授最終講義ー

京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)

2021年02月05日 12:09


 2月3日(水)18時より、ユージニア館NDホールにて、堀勝博教授最終講義が行われました。
 堀先生は、古代日本文学、とくに万葉集の歌について、独創的な着眼と精到な論証により、研究史上に新たな道標を打ち据えてこられましたが、2006年に教授として本学に着任されてからは、熱意をもって教育にあたられ、いささかの妥協もない厳しさで授業の準備をされる一方、学生に対しては、その温和なお人柄で学ぶことの楽しさを伝えてこられました。そしてにつねに私たちの精神的な支柱であり続けてくださいました。コロナ禍にあって、最終講義のご案内は学内のみとなりましたが、会場参加者は70名を越え、またZoomによる配信には国内外から50名ほどの参加があったことは、その証左と言えましょう。

 最終講義の題目は「和歌を読む楽しみ―和泉式部『萩』の歌を中心に」。先生は和泉式部の、

  人もがな見せも聞かせも萩が花咲く夕かげのひぐらしの声

を中心に、歌を読むとはどういうことかを語りかけられました。ときには会場の学生を指名され、指名された学生も生き生きとそれに答え、先生の語り口によって、いつしかホールは一つの学びの場となっていきました。先生は、一首の語彙や意味を説明され、歌われた情景を描き出されるとともに、「萩」と「夕かげ」と「ひぐらしの声」を体感したと述べられたのです。詩を理解するに、言葉や表現のうえでなされることは比較的容易です。一歩進んで、詩の言葉や表現から、その詩が喚起するイメージを受けとめることができる場合もあります。しかしながら、その詩を体験すること、詩と一体となってその詩的世界に入り込むことは希有なことです。先生によって古典文学の入口に立った人は多いでしょう。また、この日ホールにいた人も古典文学の入口にいたと言ってもいいでしょう。先生はそういう私たちに、詩の世界や詩を理解することの深遠を見せてくださったのです。それは、森重敏のいう「情意をつくして客観的であること」(『日本文法通論』1959)そのものであったように私には思われました。

 先生もおっしゃったように「萩」は、古来日本人に最も愛された花の一つで、万葉集以来、繰り返し歌われてきました。古今和歌集には

  秋はぎの花をば雨にぬらせども君をばましてをしとこそおもへ
                        (離別歌 397)

という紀貫之の歌もあります。講義が予定の時間に近づいていくにつれ、私には萩の花にもまして、最終であることが名残惜しく思われてなりませんでした。会場やZoomの向こう側もそうであったことでしょう。拙文のタイトルを「君をばましてをしとこそおもへ 」とした所以です。

                国際日本文化学科 教員 河野有時

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