インディアナ大学での客員研究員報告(1)

京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)

2012年11月28日 14:09

2012年11月の報告

 みなさん、マルハバン(アラビア語で「こんにちは」)! 鷲見朗子です。
いかがお過ごしですか。私はおかげさまで元気です。

 2012年度は大学の国外研修制度を利用して、海外で研究活動を行っています。
2012年4月から6月まではエジプトのアメリカン大学・カイロ校で、7月から9月までは
フランスはパリの国立科学研究センターで、それぞれ客員研究員をつとめました。
9月末からは、アメリカ中西部のインディアナ州にあるインディアナ大学ブルーミントン校で
客員研究員として研究生活を送っています。

 インディアナ大学は8つの分校を有し、そのなかでもっとも大きいのが、私のいる
ブルーミントン校です。州立大学で、学生数約4万2千人という大きな大学です。
春には色鮮やかな花が咲き、秋には紅葉が赤や黄に色づく、とても美しいキャンパスです。



(写真: インディアナ大学キャンパス 冬の様子)


 私はこの大学の大学院近東言語文化研究科から2001年に学位を取得しており、
母校である、慣れ親しんだキャンパスに帰ってこれて大変幸せに思っています。
私が大学院生のときのクラスメイトはほぼ全員修了してキャンパスを去っているのですが、
先生方の多くはまだ教鞭をとっていらっしゃるので、研究室にごあいさつに伺ったり、
授業に参加させていただいたり、研究について相談にのっていただいたりしています。

 また、私がほぼ毎日通っているのが図書館です。7800万冊の蔵書があり、
たいへん充実しています。キャンパスには、このメインとなる図書館以外にも
15以上のより規模の小さな専門的な図書館があります。これらの図書館が
所蔵していない本でも他大学の図書館から無料で借りられるので、助かっています。



(写真:2つの建物からなる大きなメイン図書館)


 キャンパスには(大学が所有する)学生寮やアパートも数多くあります。
私も大学院生の頃はキャンパスにある2階建てのアパートに住んでいました。




(写真: 私が学生の頃住んでいたアパート)


実は今もそのアパートの近くに住んでいます。このような2階建てのアパートだけでなく、
高層で大きな建物の学生寮もあります。



(写真:学生寮)


 研究に関しては、現在は主にアラビアンナイト・コレクションのひとつとみなされている『百一夜物語』について行っています。実は12月のはじめに客員研究員として、インディアナ大学の中東研究センターで研究発表をするので、今はその準備に忙しくしています。「翻訳」について発表することになっており、
2011年に私がアラビア語から訳して刊行した『百一夜物語―もうひとつのアラビアンナイト』(河出書房新社)の翻訳について話す予定です。

 いざ発表のために調べ出してみると、翻訳という分野はこれまでにさまざまな理論が構築されており(もちろん、これからもさらに発展していくのでしょうが)、大変奥深いものであると感じています。私はほとんど何の予備知識もなしに、翻訳作業を始めたので、いわば実践から入りました。こうして後から理論を多少勉強して自分が翻訳したものを見返してみると、自分のとった手法や選択肢が翻訳理論のなかで、どのような位置づけにあり、どんな読者を想定し、何を目指していたのかが、より明らかになったような気がします。もちろん作業に入る前、そして作業中にもこれらの意識は当然あったのですが、より明確になったという感じです。

 この作業を通じて私が感じたことは、翻訳にあたって必要な条件あるいは姿勢は、まず原語(私の場合、アラビア語)を十分理解できること。これは文法や語彙力などを含めた言語学的知識や能力を指しています。次に、起点(原語)テクストの文化的背景を把握し、その知見を深めようと努めることです。いくら、単語の意味、文の意味がわかっても、それが文化的コンテクスト(文脈・背景)に合っていなければ、良い翻訳とは言えないでしょう。文学テクストであるならば、歴史的、地理的な知識も大切になってきます。わからないことがあれば、調べます。図書や論文などの文献、そしてインターネットも強い味方です。ただし、インターネットは自分の求める情報がのっているサイトが信頼できるものかどうか確認しないといけません。

 最後の条件は、目標言語(私の場合、日本語)の能力、特に表現力です。ここからは、いわば自分が理解した起点テクストの内容を目標テクストに変換していく作業に入るわけです。正確な内容の提示はもちろんのこと、目標テクストにおける言語学的正しさ、わかりやすさ、読みやすさ、そして豊かな表現力が求められます。この表現力は文学テクストになると一段とその重みを増します。もちろん起点テクストが持っている文学的・審美的価値や精神を、そっくりそのまま目標テクストにおきかえて伝えることは不可能なのですが、少なくともそれらを何とか伝達する努力が必要だと思います。

 上にも書きましたが、インディアナ大学ではこのような研究をするほかにも、ときどき授業に出席して、教員がどのように教えているのか、また学生がどのように学んでいるのかを観察しています。今回はそれについては触れられなかったので、次回機会があれば、ぜひ報告したいと思います。

北山のノートルダムのキャンパスで頑張っているみなさんへ
           人間文化学科 鷲見朗子


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