学生エッセイ  ― コロナ禍を過ごす学生の思いを綴る〔第1回 1年次生 廣嶋初音さん〕

京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)

2020年07月12日 01:12







 きらきらとした女子大生。サークルに入って、好きな分野を勉強し、キャンパスを探索して―― そんな夢の詰まった大学生活を一つのウイルスが壊してくれた。正直な気持ちは、「どうして」の一言だった。理不尽な怒りばかりが日々募った。



 それでも、大学生活は始まった。新しい環境に興奮を覚えないでもなかったが、どれも真の意味での興奮ではなかった。やはり根底には、大学に通えず、毎日スライドを読まねばならない授業に悲しみを覚えていた。我々新入生にとって、長い受験を乗り越えての大学生活が、こんなものになろうとは、あまりに予想外であり、深い悲しみが行き場のない怒りに変わってもおかしくなかった。



 そんな中、先生方の工夫に満ちたオンライン授業を日々受講する。私は物忘れが激しく、一人になるとすぐだらけてしまうので、他の人の数倍苦労したと思う。履修登録を間違えたまま受けていた授業もあったし、宿題として課される提出物も、日付は合っていても時間を間違えたりして、何度も未提出になってしまった。オンライン授業を評価するなら、「自分の勉学への姿勢が試され、炙りだされたものだ」と思っている。時間割に合わせて行動し、自分自身で課題の内容や提出期限を確認し、すべて自主的に賄っていく難しさを、身をもって再認識した。



 しかし、オンライン授業だからこそのメリットもある。それは復習が容易だということだ。分からなければ自分のペースで立ち止まり、個人個人のペースで理解を深めることが出来るのはオンライン授業ならではだ。このメリットこそが、私にとっては「堕落への一歩」でもあるのだが、正しく活用できれば大きな武器になりえるのだ。



 そんなオンライン授業でも、時々心躍る瞬間がある。それは、Zoomなどのリモート授業で自分が発言したとき。そして、自分の意見や感想が先生に取り上げられた瞬間だ。小さな興奮だが、その興奮こそが私を飽きさせない。


 コロナの自粛期間中、自宅で毎日過ごすうち、再認識したことがある。それは「会える喜び」「外出の素晴らしさ」だ。私は、Stay home期間中に友人とほぼ毎日LINE通話していたが、楽しく会話をしていてもふとした瞬間に「ああ、外出したい」と思ってしまうのだ。これが小説などによく描かれる「普段は当たり前で何とも思わなかったことの有難みが、失って初めて認識できる」という現象なのだと思った。



 この三か月、高校時代に思い描いた生活とすっかりかけ離れた大学生活となってしまった。通えない、会えない、遊べない毎日だが、その分日常の有難さを実感する結果となった。コロナが憎い気持ちは変わらないが、誰も経験したことがないこの期間、自分なりにいろいろ失敗したり、考えたりしたことを思い返し、この試練をプラスに変えて、今後にいい舵が切れるよう日々励んでいこうと思う。



                 (国際日本文化学科1年次生 廣嶋初音)




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