三四郎は都会にそまった

京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)

2017年12月13日 20:52


後期にはじまった、
夏目漱石「三四郎」の講読も、
いよいよ佳境です。



東京で出会った美禰子に、
心惹かれた三四郎は、
相手の気持ち理解しかねています。


それでも、何やら、
二人で会う機会を得て、
進展しているようにも見えます。


そんなエピソードの中に、
三四郎が、火事の騒ぎや、
子どもの葬式を見かけても、
気の毒に思ったりしない、
という出来事があります。


三四郎は、東京に来たばかりの頃は、
東京の人々が、
迷子を見ても、手をさしのべない、
様子を見て、違和感を抱いていました。

三四郎の故郷では、
少なくとも、道徳の観点から、
何かしようとするはずだというのです。


ところが、東京の人は、
本音で生きているから、
迷子は、誰かが面倒を見るはずだ、
と手をさしのべないのです。


違和感を抱いていた三四郎ですが、
今や、東京の人と同じように、
人の不幸に目を向けないように、
なったようです。

そこには、美禰子に恋心を抱き、
自分の人生に忙しくなった、
新たな三四郎の姿が見えてきます。


報告:長沼光彦

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