三四郎は都会にそまった
後期にはじまった、
夏目漱石「三四郎」の講読も、
いよいよ佳境です。
東京で出会った美禰子に、
心惹かれた三四郎は、
相手の気持ち理解しかねています。
それでも、何やら、
二人で会う機会を得て、
進展しているようにも見えます。
そんなエピソードの中に、
三四郎が、火事の騒ぎや、
子どもの葬式を見かけても、
気の毒に思ったりしない、
という出来事があります。
三四郎は、東京に来たばかりの頃は、
東京の人々が、
迷子を見ても、手をさしのべない、
様子を見て、違和感を抱いていました。
三四郎の故郷では、
少なくとも、道徳の観点から、
何かしようとするはずだというのです。
ところが、東京の人は、
本音で生きているから、
迷子は、誰かが面倒を見るはずだ、
と手をさしのべないのです。
違和感を抱いていた三四郎ですが、
今や、東京の人と同じように、
人の不幸に目を向けないように、
なったようです。
そこには、美禰子に恋心を抱き、
自分の人生に忙しくなった、
新たな三四郎の姿が見えてきます。
報告:長沼光彦
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