祇園祭に行ってきました6 ―3年次生「専門演習」クラス〈終〉
(夏に出かけた祇園祭の記事の最終回です。六日の菖蒲どころではありませんが、おゆるしのほど)
日もすっかり暮れ、人出も増えて、お祭りムードが高まってきました。
われわれが最後に向かったのは、くじ取らずの鉾の一、放下鉾(ほうかぼこ)でした。
鉾の真木(しんぎ)の中ほどに放下僧の像を祀っていることにちなむ名です。放下僧とは、室町時代後期に現れた僧形の大道芸人のことで、仇討ち物の謡曲「放下僧(ほうかぞう)」にも登場します。親への孝養を重んじた古人たちが、親の敵を討つ兄弟の物語に感じて制作した鉾なのでしょう。
町会所の二階に上がらせていただき、お宝の数々を拝見しました。
まず目に飛び込んで来たのは、モスクとフクロウのデザインが異彩を放つ見送りでした。江戸時代に作られた綴織(つづれおり)に代わり、昭和57(1982)年に制作された「バクダッド」という名の臈纈染(ろうけつぞめ)だそうです。ギリシャ神話や聖書のデザインが古くから用いられてきた祇園祭ですから、イスラーム風のものが加わっても何ら不思議ではありませんね。
こちらは、鉾の先端を飾る鉾頭(ほこがしら)です。地上を照らす太陽、月、星をデザインしたもので、形が洲浜(すはま)の模様に似ているので、この鉾は「すはま鉾」の別名があります。
放下鉾では、昭和3(1928)年までは長刀鉾と同じように、生き稚児を乗せていました。その時に用いた古い冠が二つ並べて展示されていました。いったい何人の子どもたちがこの冠をかぶってきたのかと思うと、祇園祭の歴史と伝統を目の当たりにした思いでした。
こちらは、現在の稚児人形がかぶる冠です。昭和4年製造だそうです。
町会所二階の奥には長い廊下のような橋がかかっており、向こうの倉庫の方まで続いていました。この橋は、祭りの時に器材を運び出すためだけに引き出されるものだそうです。町衆たちが、いかに祭中心に物事を発想してきたかがうかがえます。
見物人も鉾に乗せていただけるとのことでしたが、こちらは女人禁制につき、学生たちは入口のところでストップ。天井の様子や屋根を支える鉾の柱に施された見事な彫刻など、学生に知らせるため、何枚か写真を撮らせていただきました。
鉾から下りてそろそろ帰ろうかと思ったちょうどその時、お囃子の演奏が始まりました。鉾入口のところで待っていた学生たちは、コンサートのボックス席のごとく、かぶり付きでお囃子を聞くことができました。悠揚迫らぬ優雅なその響きに、学生たちは時の経つのも忘れ、聴き入っていました。〈終〉
(報告者:「日本語と古典ゼミ」担当、堀勝博)
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