年の瀬にキリストを思う

京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)

2015年12月31日 12:00

いよいよ2015年が過ぎ、
新年を迎えようとしています。


年の瀬に、ニュースを見ていましたら、
ノートルダムクリスマスでの、
一場修神父のお話を思い起こしました。


神父のお話は、キリストが人間の苦しみを負ったように、
わたしたちも、人の苦しみを思いましょう、
という話でした。

キリスト教では、キリストは、
人類の代わりに、その身をもって苦しみを受け、
人の魂を罪より救った、と考えます。

私たちはキリストに感謝すると共に、
同胞の苦しみに、目を向ける機会を持ってはどうでしょうか。
私は、神父のお話を、そのような積極的提案として、
聞きました。

とはいえ、人の苦痛を、自分のものとして、
思うことはむずかしいことです。
日々の自分の苦しさで、手一杯かもしれません。

ただ、同じ苦しみを持った体を持つ人として、
周囲の人を見る想像を持つと、
少しだけ、配慮や遠慮が生まれてくるように思います。

それだけでも、ずいぶん、
居心地のよい雰囲気になるでしょう。


年末年始と楽しいことをみんなで共有した方が、
良いと思います。
おめでたい方がいいですよね。

その一方で、
それぞれ苦を抱えているのではないかと、
頭の片隅においてみると、
いくぶんかでも、周囲にある、
苦や苛立ちをやわらげることができるのではないかとも思います。



皆さんは、2015年どんな年でしたか。
あらためて、よい年をお迎えください。


報告:長沼光彦

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