共に暮らす人
グローバル社会と言われるようになって、
経済問題などで、
世の中の競争的な側面が、
取り上げられるようになっています。
競争がエスカレートすると、
勝ち負けをはっきりさせたい人や、
とことん相手をやっつけなければすまない人も、
現れてきます。
しかしながら、
競争相手は、将来の商売相手や、
共同事業を立ち上げたりする相手
となる場合もあるので、
とことんやっつけるのは、
かえって損になる場合があります。
ほどほどにしとこか、
という気持ちも必要でしょうし、
勝っていても、ぼちぼちですわ、
と控えめにしておく方がいいかもしれません。
本学の学生は、
こういう、喧嘩せんとこか、
ほどほどにしとこか、
という感覚が身についているようです。
誰かがしくじったり、さぼったりしても、
まあしゃあないな、
くらいの気持ちで、
助けてあげることがよくあります。
そこは、怒っといた方がいいんのと違うの、
というと、
先生、そんなきついこといったらあかんよ、
かえって諭されます。
一緒に過ごしていく人に、
無理は言わない、という感覚が、
共有されているのだと思います。
これは本学の学生の美質だと思います。
競争型の社会はわりと疲れますが、
喧嘩せんとこかという感覚は、
ちょっとした癒やしをもたらします。
ただ、勝ち負けを価値観とする人たちに、
私たちの生き方は、わりといいんですよ、
というためには、
もう一歩踏み出すことも必要かもしれません。
それは、例えば、
共に暮らしていく人を、積極的にいいね!
といえる、肯定的な態度だと思います。
お互いの良いところをわかっていたら、
徹底的にやっつけてやろうという、
気持ちにはなりませんね。
実は、こういう人も、本学にはいまして、
相手のいいところを見つけて、
よくほめたりします。
あるいは、私に、ほめてあげなきゃ、
と言ったりします。
競争は、よきライバルと認める気持ちを生むこともあれば、
相手を否定する気持ちも生み出します。
どうせならば、相手の良いところを認めたうえで、
競い合う方が良いのではないかなと、
学生を見ながら思うわけです。
それは、グローバル社会で求められる、
もうひとつの価値観、
多文化共生、につながる姿勢でもあります。
報告:長沼光彦
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