嵐山フィールドワーク その参

京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)

2015年07月05日 23:23

6月28日の嵐山フィールドワークは、
再び長辻通に入り、南へと下がります。
見えてきたのは、桂川に架かる渡月橋です。


現在の渡月橋は、
昭和9年(1934年)の建造物ですが、
はじめに桂川に橋を架けたのは、
これから訪れる法輪寺中興の祖、
道昌(どうしょう)が800年頃に行った、
桂川改修の時だとされます。
(虚空蔵法輪寺ホームページを、
ご参照ください。)


法輪寺は、もとは、和銅六年(713年)、
行基が創建し、その頃は、
葛井寺(かづのいでら)という名でした。
(写真は、渡月橋に近い、裏手側から、
法輪寺に向かう入り口です。)


『都名所図会』(安永9年 1780年)を見ると、
法輪寺と名が改められた逸話が紹介されています。


葛井寺で修行していた道昌が、
虚空蔵求聞持法(こくぞうぐもんじほう)の修行をしていると、
金星の光が衣の袖に当たりました。
そして袖に、虚空蔵菩薩の姿が浮かび上がったというのです。

以後、その袖を内に収めた虚空蔵菩薩を本尊とし、
法輪寺と名を改めたのです。
虚空蔵菩薩は、知恵をつかさどる菩薩であるため、後には、
関西のお子さんが、知恵を授かりにお参りする、
十三参りが行われるようになりました。
(学生の皆さんに聞くと、京都だけではなく、
大阪にお住まいの方もいらっしゃるそうです。)




法輪寺は小高いところにあるため、
桂川や渡月橋をはじめとした、
周辺を一望できます。
桜や紅葉の季節は、
華やかな景色を見渡せます。


寺の参道の途中に、電電宮という社があります。
本来は、道昌の伝説にある金星(明星)と、
雷の神様を祀る神社でしたが、
明治になって、電気、電波を守護する神となりました。


学生が持ってきたデジカメの電池が切れたというので、
祈ってみたらと促したところ、
不思議なことに、一時的に電池が回復し、
電電宮の写真を撮影することができました。


こんな出来事も、京都フィールドワークの、
面白さでしょうか。


法輪寺にお参りしたということで、
帰りは、十三参りのように、
振り返らずに渡月橋を渡っていくことにしました。
十三参りでは、お参りした後に、
渡月橋から振り返ると、
せっかくもらった知恵を置いてくると、
言われています。
(渡月橋を渡ると、真正面に法輪寺の塔が見えます。
振り返ると、まっすぐに知恵が戻っていきそうな、
気がするかもしれませんね。)


無事に渡ったあと、
乗り換えの都合があるということで、
バスに乗って帰ることにしました。
再び三条通りを東へと揺られていきました。
(写真はバス停から見た、
法輪寺の塔の覗く嵐山です。)

嵐山フィールドワーク、
これにて終幕でございます。
おつきあいいただき、ありがとうございます。


報告:長沼光彦



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