2017年01月22日

野田四郎先生に聞く!

~語学の魅力~ 経験が積み上げたものとは

2016年11月22日(月)、2回生小寺が京都ノートルダム女子大学内にて、人間文化学科名誉教授、野田四郎先生にインタビューさせていただきました。
~野田先生プロフィール~
1976年3月 神奈川大学英文科卒業
1978年3月 上智大学大学院外国語研究科国際関係論専攻修了
1989年3月 モントリオール大学大学院歴史学科博士課程修了
長崎出身、長崎育ちの九州男児!担当科目はフランス語、ヨーロッパ文化論、比較文化概論、国際関係論など。海外滞在歴25年。パリ13年、モントリオール12年。
野田先生の写真
撮影日2016.11.22、野田四郎名誉教授

今回、野田先生監訳「パリの万華鏡」の訳者あとがきに記されたことを元にインタビューしました。

 1970年代前半の4年間と1990年代の9年間、
合計13年間を過ごしたパリでの日々は、
学生、研究者、大学教員として貧乏生活の時期がほとんどだった。

(監訳:野田四郎先生 「パリの万華鏡」2006年 原書房 の文章より)


-学生時代に苦労したこと- 

 フランスに私費留学を決めたのは19歳ころで、母親は賛成してくれたものの、父親は当初反対だったそうです。
留学に行くまで、英語の通訳や結婚式場のウエイターなどのアルバイトをして貯金をつくった。4年間の留学生活は、決して裕福な生活ではなかったそうです。貯金と最終的には留学を認めてくれた父親からの支援で生活を賄っていました。
体力はあったため、パリ大学の150円(約2フラン)程度の学食を食べるか、仕送りのラーメンを食べていました。

 なお、パリ大学の学食は、メインディシュの他、前菜かデザートが必ずセットになった「ちゃんとした」食事で、追加料金でビールやワインも選べたそうです。当時、外国人留学生は、フランス政府からの労働許可証が無く、働くことが禁止されていた為、フランスでアルバイトはできなかった事から、楽な生活ではなかったそうです。

  神奈川大学英文科に戻り、海外で過ごした4年間、日本での在籍期間4年間、計8年の在籍という記録を残して大学を卒業。当時はアドベンチャークラブ(今で言えば探検部でしょうか)に所属していたと楽しそうに話して下さいました。

 1970年代初め、安保闘争の影響により、日米関係の在り方や大学の運営・社会体制などに批判的な学生運動家によるキャンパスの占拠や、これを排除しようとする機動隊による突入に伴う大学封鎖などがあり、日本の多くの大学でほとんどまともに授業が行われない時代だったそうです。

 これに対し、あまり勉強することも無いまま卒業することへの不安を覚えたそうです。しかし、とことん勉強したい(はまった)と思えたのが“フランス語”でした。日本にいては本格的に勉強できないと考えた結果、3回生終了後、フランスに旅立ちます。この頃、海外に旅立つ学生は多かったそうです。

  フランス語が好きなところは“音”で、言葉の響きに魅了されたと話して下さいました。

 神奈川大学を卒業すると同時に上智大学の国際関係修士課程に進学し、2年後に大学院を修了後、カナダ政府国費留学生としてモントリオール大学の歴史学研究科博士課程に入学。国費留学は最低限生活できる費用が給付されるため、ここでも生活はぎりぎりだったそうです。
勉強に専念しなければならなかった為、アルバイトができませんでした。

 研究者としても、学生としてもぎりぎりの生活だったと、苦労されていた様子が伺えました。


-カナダへ行った理由-

 国際関係に興味があり、上智の大学院へ入学。ゼミ生同士仲が良く、定期的にコンパをしていたそうです。ゼミ生の紹介で出会った津田塾大学教授、上智大学非常勤講師の馬場先生の影響により、フランス系カナダのナショナリズムについて修士論文を書きます。論文を書くにあたって馬場先生にとりわけ資料面でバックアップしていただいたようです。

 論文を2年で仕上げ、カナダ政府国費留学生試験に合格し、カナダへ。
第二次大戦後、発展途上国で民族紛争や独立運動が起こることが多いなかで、カナダのケベックでは北米という先進地域にありながら、フランス系カナダ人による独立運動が起きていたのです。
武器による流血をともなう戦いではなく、民主的な手段である州民投票により独立を実現しようとするケベックの運動に興味を持ち始めます。

  もしもケベックが独立したら、カナダは東西に2分されるという中で、カナダという国がどうなるのか気になったそうです。


-今を振り返って思うこと-

 まず“人は時代の中で生きているということ”と話して下さいました。
当時の日本社会の雰囲気があってこそ、思い切ったことができたそうです。学部の学生時代は政治的な意識に乏しく、当時風に言えば「ノンポリ学生」で、コンパや、部活を楽しみ、勉強は自分の思い入れがある科目を頑張る程度だったそうです。
パリの万華鏡の本

  フランスについて言えば、過去に指導を受けた仏人教授たちに比べ、最近の傾向として本を読まない若い人がフランスでも増え、インターネットや携帯電話の普及の影響もあり、フランスの若者の国語能力が落ちているように感じると話して下さいました。

 当時、フランス語の発音を学んだパリ大学の先生による指導法が独特かつ画期的で、フランス語のRの音が出ていないと指摘され、なんと毎日の「うがい」で習得したそうです。しかし、これはとても効果的で、おかげでRの発音をマスターしたとのこと。

 今はこのような発声の訓練・指導する先生は少ないと感じるそうです。


-留学するなら若いうちに!!-

 若いほど外国語を吸収する能力が高いそうです。語学とは、発声訓練に基づく会話、文法、読解、作文といった総合的な学習が不可欠であり、とりわけ大人の場合、外国語が自分の言語として定着するには、こうしたより体系的な学習が必要なのだそうです。

 最後に私たちに向け、自身の経験から感じたことを話して下さいました。


-京都ノートルダム女子大学に来る前-

 フランス語で提出した博士論文がフランス系カナダ人に評価され、新聞に掲載されます。
それが評判になりラジオ局、テレビ番組に出演し、道で声をかけられることもあったそうです。これには私も驚きでした。
ケベック州立モントリオール大学歴史学部の専任教員としてのオファーが正式にあったにもかかわらず、断ってしまいます。相手の学部長はとても驚いていたそうです。

 パリのフランス語への憧れが非常に強く、フランス国立東洋言語文化大学(INALCO)日本語科の講師になります。
フランス語の“オト”の響きにこだわりがあるため、自分で語学オタクと微笑みながら仰っていました。

 因みに、INALCOは日本で知られていませんが、1984年までパリ第3大学に所属し、現在は、パリ都市圏ソルボンヌ大学群(USPC)の構成メンバーでもあるそうです。

 約1時間程のインタビューでしたが、時間の経過があっという間でした。

学生時代は経済的には楽でない生活をおくりながらも勉強し、留学し、興味を持ったものにはどんどん踏み込む好奇心旺盛な部分が聞き手側にも伝わってきました。

 私も今しかできない経験は積極的に取り組み、何事にも好奇心を持てるようになりたいと思いました。


【この記事をまとめたのは人間文化学科2回生の小寺でした。】




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Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00 │Comments(0)授業紹介アクティブラーニング教員・学生インタビュー

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