2018年01月26日

東京の人は迷子を放っておく? 「三四郎」を読む


少し前に、道で手助けをした人を、
見かけた話をしました




夏目漱石「三四郎」を読みますと、
東京では、困った人がいても、
手助けをしない、という、
エピソードが登場します。

これも、前に少し触れました。)


東京では、迷子がいても、
誰かが助けるだろう、
警官か誰かが何とかするだろうと、
手をさしのべない、
というのです。

三四郎は、自分の故郷、田舎では、
建前がしっかりと残っているので、
そんなことはできない、
とはじめは思います。

しかし、やがて、
東京では、自分の本音で、
行動している、
と考え直します。

それが都会流の、
自分の気持ちに忠実な、
人間に生き方だと、
いうわけです。



ところが、そういうふうに、
自分の気持ちを中心にすると、
一方で、他人から放っておかれる、
孤独を感じる場合があります。

三四郎が好意を抱く、
美禰子が感じるその孤独は、
ストレイシープ(迷子、迷える子羊)と、
いう言葉で表現されます。


自分中心の人たちが多くなり、
孤独がつのれば、
荒野をさまようような気持ちになることも、
あるのでしょう。


ここにいたり、
「三四郎」という作品は、
読者に問いかけていると思います。


建前からの解放が、
自由と感じられるときもあるのですが、
建前には、建前なりの、
役割があるのかもしれません。

とはいえ、今更、建前の世界に戻るのも、
難しいでしょう。

そのときに、人と人をつなぐものは、
何でしょう。


そんなむずかしいことを考えなくても、
先日見かけたように、
さっと手を差しのばせる人も、
いるわけですが。





報告:長沼光彦




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Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 20:44 │Comments(0)日本語日本文化領域

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