2016年12月25日

光を待つクリスマス ノートルダムクリスマス2016より

クリスマスをいかがお過ごしでしょうか。

ノートルダムクリスマス2016での、
一場修神父のお話を、ご紹介します。
光を待つクリスマス ノートルダムクリスマス2016より


一場修神父の話は、
クリスマスの本来の意義、
キリスト降誕が何をもたらしたか、
というものです。



今の世の中は、
人を傷つけ合う現実があります。

これは悲しいことですし、
マスコミも、そういう世の中が、
間違っていることを報道します。

にもかかわらず、
傷つけ合う現実がなくならないのは、
なぜでしょう。
光を待つクリスマス ノートルダムクリスマス2016より



一場修神父は、
本来は闇の現実である、
そういう世の中に、
人は慣れてしまうものだ、
とおっしゃいます。

場合によっては、
むしろ、それが心地よくなり、
その現実から出たくなくなるのです。


そういう人々に、
イエスの光が、
闇の現実から抜け出す勇気を、
与えてくれる、というのです。

それが、キリストが、
人間の世に、希望を与えることなのです。
光を待つクリスマス ノートルダムクリスマス2016より


少し、私の解釈を付け加えます。
今の世の中は、基本的に、
競い合い、成功を勝ち取る世の中です。

それ自体は、正しく評価されるなら、
悪いことではないでしょう。

ただし、競争に負けた人にも、
何らかの助けは必要でしょう。
自分が負けたときのことを考えれば、
助けが必要なことは、
じゅうぶんに理解されるはずです。


とはいえ、勝つことにばかり目が向くと、
助けが必要な人を忘れてしまうことがあります。

また、勝つことが目標になると、
意図的に相手を貶めることを、 
してしまう場合があります。

こういう心理状態を、闇の現実、
というのだろうと思います。
光を待つクリスマス ノートルダムクリスマス2016より



その闇から脱するためには、
どうしたら良いでしょう。

今の自分とは異なる価値観、
本来人間が持つべき、
助け合う気持ちを思い出すことが、
必要でしょう。

そういう気持ちを思い出させるものが、
変わらない理想、不変の真理、
神の言葉、ということになるのだと思います。
光を待つクリスマス ノートルダムクリスマス2016より


キリストを信仰すると否とにかかわらず、
闇の現実を脱するためには、
自分の欲や感情とは、
別の価値観が必要でしょう。

そういう価値に目覚めれば、
心に光が差してきたように、
感じるのではないでしょうか。


ノートルダムクリスマスで、
ろうそくの火が、キリストの元から、
会場へと届けられたのも、
キリストの希望の光を表しているのです。
光を待つクリスマス ノートルダムクリスマス2016より

(カトリック校である本学のイルミネーションも、
世のイルミネーションとは、
異なる意味合いを持っていると思います。)


毎度申し上げますが、
私自身は、むしろ、闇の現実に、
囚われるような、凡庸な人間です。

クリスマスという機会や、
信仰の言葉に触発されて、
人間のよりよい生き方を、
思い起こし、書き記すだけです。
光を待つクリスマス ノートルダムクリスマス2016より



報告:長沼光彦



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Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00 │Comments(0)カトリック教育

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