2016年11月14日

人を想うこと 物故者ミサ

本日、11月14日、
本学にて物故者ミサを行いました。
人を想うこと 物故者ミサ


物故者ミサは、本学教職員や卒業生をはじめ、
京都ノートルダム女子大学に関わり、
帰天された方々を想う式典です。


本日いらしていただいた、
京都司教区、一場修神父は、
帰天された方々を想うことで、
人と人のつながりを顧みて、
将来、社会に貢献できる人間となることを、
目指しましょう、とおっしゃいました。


この御言葉を受けて、
人とのつながりを重んじることの意味を、
少し考えてみたいと思います。
人を想うこと 物故者ミサ


聖書が、
旅人をもてなすこと
(ヘブライ人への手紙 第13章 1-2)
「善きサマリア人」
(ルカによる福音書 第10章 25-37)
などで語るように、
他者への思いやりを重んじていることは、
よく知られています。

なぜ、人を思うことが大切なのでしょうか。
人間は、人を思うことを忘れると、
おそらく、貪欲に囚われるからです。
人を想うこと 物故者ミサ


愚かな金持ちのたとえ話
(ルカによる福音福音書 第12章 12―21)では、
自分のためにだけお金をためようとして、
周囲を顧みない、金持ちの話が語られます。

人間は、自分だけが金持ちになれば、
幸せになれると思ってしまいます。

しかし、お金が儲かるのは、
人が自分のものを買ってくれるからでしょう。
自分のものを信頼してくれるからでもありましょう。

また、お金を遣うときも、
誰かのものを買うのでしょう。
そこにも信頼が必要です。

そういうことを忘れると、
自分だけが金を持てば良いと思います。

ついには、人を騙してでも、
人を陥れてでも、
お金を持ちたいという、
貪欲に囚われます。
人を想うこと 物故者ミサ


そういう人は、食欲や権力欲を、
満たすことはできるかもしれません。
(そういう欲望も、七つの大罪と言われる、
貪欲のうちに入ります。)

しかし、本来ほしいものは、
手に入らないのです。

キリストは厳しく、
「自分のために富を積んでも、
神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
と述べました。
人を想うこと 物故者ミサ


もちろん、私は、
信仰者のように、
説教する資格はありません。

とはいえ、人のことを想うと、
自ずと、自分の貪欲がやわらぐことは、
実感します。

逆に、人とのつながりを忘れると、
貪欲にも、傲慢にも、憤怒にも、
囚われるように思います。

聖書の言葉は、
誰にも、通じるものだと思います。


報告:長沼光彦







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Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 19:14 │Comments(0)日記カトリック教育

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