2016年08月27日

図書館で発見されるということ


時折、新聞に、文学や歴史の資料が、
新発見される、という記事が載ることがあります。

また、その資料が、どこかの図書館や資料館で、
発見される場合があります。



もともとあった資料が、「発見」される、
というのは、奇妙な感じします。

所蔵元(持ち主)が、
自分で持っていながら、
知らない、気づかない資料があるのでしょうか。



実は、資料自体に、
それが大切なものかどうか、
はっきりとした印があるわけではありません。

例えば、有名な作家、
夏目漱石の原稿だと思われたとしても、
筆蹟や原稿用紙から、
本物かどうか、
鑑定する必要があります。



また、歴史資料の中には、
あまり知られてない人の、
書いた文章もあります。

それが大切かどうかは、
同じ時代の社会の動きや、
人間関係を知らないと、
判断できません。



つまり、発見するというのは、
その資料が、どのような意味を持つものか、
種々の知識と照らし合わせて、
判断するということです。

あまり価値がなさそうなものでも、
見る人によっては、
重要なものであることが、
わかる場合があるわけです。


大学の教員は、そういう資料の意味づけを、
見つける研究をしています。

報告:長沼光彦


タグ :資料研究

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Posted by 京都ノートルダム女子大学      人間文化学科  at 19:38 │Comments(0)日本語日本文化領域

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