2018年01月11日

精霊の守り人を読む


上橋菜穂子『精霊の守り人』

最近読んだものではないのですが、
NHKのドラマを観ましたので、
紹介したいと思います。



『精霊の守り人』は、
この世ではない世界が見える人が、
登場します。

人間の生きる世界の、
すぐ隣に、
人間とは異なるもの、
精霊などが住む世界がある、
という物語です。



別の世界が見える、
とか口にしたら、
え~!?、と言われそうですが。

私たちも、自分の知らない世界は、
わりとあったりします。

マツコの知らない世界、
という番組がありますが、
案内されてはじめて、
こういうことをしている人がいるんだ、
と気づいたりします。

知らない、ということは、
見えない、ということなんですね。


勉強も、そういう側面があります。

生物学を勉強すれば、
生物学の見方で、
世の中が見えます。

数学を勉強すれば、
数学の見方で、
世の中が見えます。


『精霊の守り人』は、
ファンタジーなのですが、
そういう、ものを別の視点でみること、
というテーマが描かれています。

自分の世界の視点でしか、
ものを見ることができない人は、
行き詰まることがあります。

そのときに、別の世界の視点、
別の世界の価値観で、
物事を見直すことで、
打開するヒントが得られることがあります。

『精霊の守り人』も、
別の世界の視点を得た人が、
世界を救う話になっている、
と思います。

この話は、実は、
先の「経験をリセットする」の話と
つながっています。


報告:長沼光彦

  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 22:23Comments(0)日本語日本文化領域

2018年01月10日

NDクリスマス2017の司会・ナレーション

昨日に引き続き、昨年のことになってしまいましたが
クリスマスの報告です。


2017年12月20日
小・中高・大学全体で「ノートルダムクリスマス」が開かれました。


この「ノートルダムクリスマス」では、
司会やナレーションを担当する人が、毎年数名いるのですが、
本年も人間文化学科の学生たちが活躍をしました。
担当者から感想が届いています。
私(平野)のコメントともに紹介いたします。



まず、司会の向井理奈さん(人間文化学科3年次生)


「大勢の人の前で話すことは程よい緊張感があり、改めて楽しいなと実感しました。
練習で苦手な箇所を何度も練習し、本番に上手に話せた箇所もあれば思っていた
通りに読めなかった箇所もあり、まだまだ練習が足りないなと思いました。
他の場面でも今日の経験を活かすことができるように頑張りたいと思います。」

向井さんは、本番に強い。
この司会は、登場する1回1回のことばが短く、
その短い言葉で何度も登場するため、緊張感がずっと続きます。

ですが、それを乗り越え、安心感のある司会をしていました。
しかも、かなり高度な表現を要求していたため、
それができるよう直前まで練習していたのですが、
本番では、マイクによく通る美しい声で、見事に表現していました。
あの緊張感のある本番で、確実に対応できる度胸と冷静さに感心します。


次に、ナレーション担当の茂呂楓花さん(人間文化学科2年次生)


「初めてナレーションを担当しました。
たくさんの人の中、自分の声が体育館に響く空間になんともいえない気持ちになりました。
こういった体験はなかなか出来ないので、
今回ナレーションとして参加することが出来て本当に良かったです。
ありがとうございました。」

茂呂さんは、もともと表現力豊かな方ですが、
今回の本番でも、聞いていて心地よいナレーションでした。
何気なくさらっとこなしてしまうのですが、実は、大変な努力家。

一見、簡単なようにみえますが、とても難しいこのナレーションを
それをステージの動きに合わせながら、自然に、かつ美しく表現していました。
人には見えないところであたりまえのように準備・練習をし、
普段から気遣いもできる人だからこそ、
聴者が心地よさを感じる話し方に結びついていたのではないでしょうか。


最後に、もう一人のナレーション担当 山本華子さん(人間文化学科3年次生)


「私は受胎告知の場面を担当させてもらいました。
最も好きな箇所だったので、成功させたいという気持ちは誰よりも強かったと思います。

ですが実際、練習してみるとなかなか関西弁が抜けず、本番前まで同じ箇所で躓く始末。
このような調子で大丈夫なのかと思っていたのですが、
本番では、心配していた箇所も上手く話すことができました。
それもこれも平野先生が親身になってご指導してくださったおかげだと思います。

広く静まった会場で、マイクを通し話すのは、
なかなか味わうことの出来ない嬉しさだったので、とても良い経験になりました。」

山本さんは、ストーリーがすっと入ってくるナレーションでした。
誰が話しているのか、さらには、
どのような性格で、どのような体格なのかさえも伝わってくるようなナレーションでした。

練習のとき、いつも「この場面は・・・」と
場面をイメージしながら練習していたからこそでしょう。
もともとの明るくやさしくかわいらしい声が、ストーリーにうまく溶け込み、
ずっと聞いていたくなるような見事なナレーションでした。

報告:平野美保
写真撮影:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)日記話しことば教育

2018年01月09日

クリスマスコンサート2017の司会

もう昨年のことになってしまいましたが、
2017年12月18日(月)
人間文化学科のクリスマスコンサートが開かれました。
本日のブログでは、そこでの司会者についてご紹介していきます。


この人間文化学科のクリスマスコンサートは、
学科内の教員と学生の有志によって開かれています。

そのため、演奏者はもちろんですが、司会も人間文化学科の学生が担当します。
今回の司会者は、2年次生の2人でした。


田村未央さんと茂呂楓花さんです。

このクリスマスコンサートの司会は、自分で考えて準備をしていくことはもちろんですが、
随時その場に合わせた対応が必要なコンサートです。

そして、今回は、2人でトークをしながら進めていくという難しい司会に挑戦しました。

それだけに、基礎的な、「ききとりやすさ」や「わかりやすさ」はもちろんですが、
2人で息を合わせて演奏を盛り上げていくこと、
その場で瞬時に考え、場にあったコメントをしていくことが必要です。

田村さんは、本学の「放送研究同好会」に所属していることもあり、
司会の経験を他でもしてきているのですが、茂呂さんは、全くの初。

準備期間がたいへん短かったこともあって、実は少々心配していました。
しかし、2人とも、それぞれの個性を発揮し、
コンサートを盛り上げていました。


その2人から少し話を伺いました。
まずは、茂呂さんから。

- 茂呂さんは、司会初ということでしたが、
 初めてとは思えないほど、その場にあったコメントをしていましたね。

茂呂
「終始ずっと緊張してしまい、正直、何を話したかあまり覚えていません。(笑)
初めて司会という経験をさせて頂けたのがこの場で本当に良かったと思いました。

- 会場の皆さんに少しでも楽しんでいただこうという気持ちが伝わってきていましたよ。
 また、茂呂さんならではの、「ボディパーカッション」の企画もとても楽しいものでした。

茂呂
「グダグダなところもあったのに、とっても優しい方ばかりで、
終わってから良かった良かったとたくさん褒めてくださって、
本当に嬉しかったと同時に感謝の気持ちでいっぱいです。」

- 茂呂さんのお人柄もあるんでしょうね。
 嫌味なく心地よい時間で、そして楽しい!
 皆さん、喜んでいらっしゃったのではないかと思います。

茂呂
「今回こんな素敵なコンサートに参加することが出来て本当に良かったです。
ありがとうございました。」

- こちらこそありがとうございました。


次に、田村さん。

- 今回のコンサートでは、大変ご無理を言いました・・・。

「去年は演奏者として出演していましたが、
今回は演奏だけでなく司会もやらないかとお話をいただいた時は本当に驚きました。」

- そうですよね。
 バイオリン演奏の練習だけでも大変なのに、「司会も!」でしたからね。
 ですが、茂呂さんと息がぴったりでした。

「はい、何よりも演奏と司会を一緒にやることは
私にとっては初めての試みだったので
当初は本番までの練習期間が短いこともあり、大変不安でした。

しかし一緒に司会をしてくれた茂呂さんや、
練習を見てくださった平野先生の力添えもあり、
初めてにしてはいい仕上がりになったのではないかと思っています。
本当に楽しいコンサートでした!」

- はい、ありがとうございました。


田村さんも茂呂さんも、2人ともとてもよく頑張っていました。
その思いなどが伝わる、温かで楽しいクリスマスのひとときとなりました。


報告:平野美保
写真撮影:長沼光彦


  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 20:39Comments(0)日記話しことば教育

2018年01月08日

スターウォーズ最後のジェダイ 続き


スターウォーズには、
東洋文化の影響を受けたらしい、
要素が登場します。



タイトルにも登場する、
ジェダイという、
宇宙の騎士です。


ジェダイは、
宇宙の原理(フォース)を理解し、
バランスをもたらす騎士です。

西洋の騎士と違うのは、
ただ闘うだけでなく、
精神的な訓練をとおして、
宇宙の原理を体現しようとすることです。


しかし、心の平安が保たれないと、
ダークサイド(暗黒面)に、
陥ることなります。

怒りや欲望は、
ダークサイドに陥る、
きっかけです。

敵には、ダークサイドに陥った、
暗黒騎士が出てきたりします。


こういう悟り、のようなものが、
東洋の文化の影響を、
受けているようです。

ジェダイの師匠は、
よくバランスを保て、
というのですが、
東洋的な見方でいうと、
そのバランスが何のバランスか、
よくわからない、
ということがあります。


たとえば、日本の陰陽道や、
中国の陰陽思想では、
陰と陽は、どちらかが良い悪いということではなく、
物事の変化として、とらえています。

陰から陽へ、
陽から陰へ、
物事は変化していきます。

この場合、バランスとは、
陰も陽も知るということです。



ジェダイのいうバランスは、
ちょっと違うようです。

怒りや欲望は、抑えなければ、
いけないものだということになっているので、
ライトサイドもダークサイドも知る、
ということではないようです。

(もしかしたら、新作で、
変わるかもしれませんが。)

きっぱりと、ライトサイド=善、
ダークサイド=悪、
ということになっています。


とはいえ、シリーズの1~3は、
主人公がダークサイドに陥る話なので、
スターウォーズの人間観が、
さほど単純になっているわけではありません。

だからこそ、ダークサイドの扱いが、
気になるのです。

ダークサイドを知ったうえで、
悲劇を回避する方法を考える方が、
人間的な感じもいたします。

(回避できないのも、人間ですが。)

報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 20:35Comments(0)国際文化領域(多文化理解)日本語日本文化領域

2018年01月07日

スターウォーズ最後のジェダイ 京都で映画を観る


スターウォーズは、40年ほど前に、
第一作が作られましたが、
近年、新作が作られています。



若い世代は観るのかな、
と思いましたが、
学生に聞くと、
お父さんとビデオを観たりするそうです。


新作は、旧作を意識してか、
キャラクターは異なるのですが、
似たようなエピソードが登場します。


そんなことを思い起こしながら、
親子で観るのも、
良いのかも知れません。


ちなみに、「ダンケルク」とは異なり、
戦争映画ですが、
ファンタジーの世界です。


報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 23:49Comments(0)国際文化領域(多文化理解)日本語日本文化領域

2018年01月06日

ダンケルク 京都で映画を観る


「ダンケルク」
少し前に、
話題になった映画ですが、
ご覧になりましたか。


今は、DVDになったので、
レンタルして観ることもできます。



第二次世界大戦中、1940年、
ドイツがフランスに侵攻した際、
イギリス、ベルギー、カナダ、フランスの連合軍は、
ダンケルク海岸で包囲され、
撤退をせざるを得なくなります。

しかし、ドイツ軍は、
簡単に撤退をゆるしてはくれません。

撤退しようとする船舶を、
ドイツ空軍は容赦なく、
空爆します。


この実話を映画化するのに、
クリストファー・ノーラン監督が、
可能なかぎり、
CGを使わない実写を多用したjことが、
宣伝文句となっていました。



映画は、無意味な死を、
冒頭から映し続けます。

戦争映画は、
戦争に反対するテーマを持っていても、
戦死する登場人物に、
何らかのドラマを演じさせます。


戦争の悲劇を描く場合に、
おりおり観ることができるのは、
故郷に恋人や家族を残している、
ドラマです。

愛しい人を残して、
死ななければならない。
戦争はなんてひどいんだろう、
ということを読み取ることが、
できるかもしれません。


一方で、そのような悲劇は、
登場人物を、
ヒロイックに見せてしまう場合があります。

恋人を残して、
戦い続けるのが、
かっこよく見えてしまう、
場合があります。

戦争に反対しているはずが、
戦争で闘うことが、
かっこうよく見えてしまうのです。


「ダンケルク」では、
登場人物の背景は、
あまり見えてきません。

(見える人もいますが、
主人公の兵士は、
あまり見えません。)

まわりには、
不利な状況で、
戦争の局面を変えることもなく、
ただ死んでいく兵士が、
描かれます。


そのような描き方に、
過去の映画に比べて、
ドラマがなく、
無味乾燥なテレビゲームを、
観ているようだ、
という批評もあったようです。


しかし、その無味乾燥な死の表現こそ、
死に対し、安易に感動させない、
演出意図があるのではないか、
と思います。



とはいえ、登場人物の行動に、
全くドラマがないわけではありません。

後半には、むしろ劇的な表現も、
用意されています。

そのあたりも含めて、
一度、ご覧になっては、
いかがでしょうか。


報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 23:28Comments(0)国際文化領域(多文化理解)日本語日本文化領域

2018年01月05日

「経験をリセットする」続き 文化と歴史


文化を歴史的に見ると、
前代の常識を、くつがえすことの、
繰り返しとも言えます。



たとえば、日本の明治文学で、
浪漫主義の次に、自然主義が現れた、
というふうに、文学史で習ったりします。


そこで、用語を丸暗記するのではなく、
前代の何を、くつがえそうとしたのか、
と考えてみると良いと思います。


自然主義は、
人間の内面を重視した浪漫主義に対し、
科学的な客観性で、
人間を捉えようとしたのです。


ただし、後に現れたものが、
正しいというわけではありません。

日本の浪漫主義は、
江戸時代までの封建的な考え方に対し、
心の表現の自由を、
重んじようとしたものです。


それぞれの主張には、
何らかの根拠があり、
どちらが優れているという、
わけではないのです。


(ちなみに、明治や大正の人たちの中では、
江戸時代を、封建的とくくる例が、
よく見られるのですが、
江戸時代は、単純に封建的という言葉で、
その特長を説明できるわけではありません。)


そういう主張の移り変わりとして、
文化の歴史を見てみるのも、
おもしろいと思います。


報告:長沼光彦  
タグ :文化史


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 21:21Comments(0)日記日本語日本文化領域

2018年01月04日

河本英夫「経験をリセットする」を読む


お正月に、積ん読になっていた本を、
読むことにしました。

河本英夫「経験をリセットする」です。



河本英夫は、自然科学をふまえた、
哲学を論究している学者です。
「オートポイエーシス—第三世代システム」が、
代表的な著作です。


本の紹介というより、
読みこむために、考えたことを、
書いてみます。


私たちは、常識を大切にしています。
場合によっては、常識を知らないと、
注意されたりします。


ただし、常識というのは、
その時代、その地域でしか、
通用しない、ということもあります。


まずは、常識(文化といっても良いですが)は、
多様性があることを理解し、
他者の常識を尊重する、
ということが大切でしょう。


また、常識は、
守るべきルールのようなものではありますが、
大きな事件が起きると、
常識がゆらぎ、
通用しなくなることがあります。

未曾有の大事故、大災害、
という言葉は、
そういう常識の崩壊を、
表しています。


そういう事件が起きたときには、
自分の常識を、一度捨てて、
新しい事態に、対応する必要があります。


人間の進歩は、
そういう常識の破棄と再構築から生まれます。


しかし、常識は、事件以前は、
守るべきものですから、
捨てたくない、という人も出て来ます。

これが常識なんだから、
勝手なことをするな、と、
新しいやり方を、
強く否定する場合もあります。


こういう意見が強くなると、
新しい事態に対応することが、
むずかしくなります。

ですから、私たちは、
新しい事態に対応するために、
意図的に、理性的に、
自分の常識をリセットする、
必要があります。

むずかしいのですが。


文化を研究する際には、
こういう考え方も、
必要になってきます。


報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 21:28Comments(0)日記日本語日本文化領域

2018年01月03日

三が日はお休みになりましたか


正月は、3日までお休みの方も、
すでにお仕事をなさっている方も、
いらっしゃるかと思います。



三が日は、季語にもなっており、
こんな俳句もあります。

こゝろよき炭火のさまや三ケ日 飯田蛇笏

今は、炭であたたまる、
ということは、あまりないかと思いますが、
寒い中では、炭火でほっとするということが、
あったのでしょう。


門さして寺町さみし三ヶ日 村上鬼城 

今とは違い、お正月は、
ふだんはにぎやかな寺町も、門をとじて、
人通りがない、ということも、
あったようですね。


今の三が日は、せっかくのお休みだから、
どこかに出かけたいという感じなのですが、
少し前は、しずかに、家族や知り合いと、
おせちを食べたり、おとそを飲んだりする日でも、
あったようです。


報告:長沼光彦
  
タグ :三が日正月


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)日記

2018年01月02日

初夢はご覧になりましたか


初夢は、ご覧になりましたか。



よく言われているのは、
元日から2日にかけての夢が、
初夢だということです。

今朝、見たのが初夢、
ということになるようです。



ただ、初夢がいつか、
ということは、いろいろ説が、
あるようです。

大晦日から、
3日までの間の、
一番よさそうな夢を、
初夢にしておくのが、
良いかもしれません。


報告:長沼光彦  
タグ :初夢


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)日記

2018年01月01日

あけましておめでとうございます


あけましておめでとうございます。
2018年、平成30年、
となりました。



新年、というのは、
世代に関係なく、
気持ちがうきうきするようです。


ご近所の神社でも、
若い世代の人たちも、
二年参りにいらしています。


零時が近づくと、境内で、
カウントダウンをはじめた、
一団の人たちがいました。


もとは、ニューヨークで、
年越しのイベントとしてしていたものが、
東京の渋谷でも、するようになり、
若者のイベントのようになっています。


日本でも、除夜の鐘が、
カウントダウンのようなものとして、
年を越す実感を抱かせる、
風物詩となっていました。


まあ、煩悩をはらうよりも、
カウントダウンをして、
新年をお迎えして、
いいことがあるような気分になる方が、
良いのかも知れませんね。

報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)日記