2017年02月14日

ヒッチコック・トリュフォー 京都で映画を観る


ちょっと前の話ですが、
ヒッチコック・トリュフォー、という映画を、
京都シネマで観ました。


アメリカの映画監督、ヒッチコックに、
フランスの映画監督、トリュフォーが、
インタビューして出版した、
「映画術」という本
(日本では、晶文社が翻訳出版、
大学図書館に蔵書あり。)
があります。




その際テープに記録していた音声や写真を用い、
現在活躍する映画監督のインタビューを織り交ぜながら、
構成した映画です。

映画がどのようにして作られているか、
考えるきっかけになる映画です。



ヒッチコックは、1960年頃、アメリカのサスペンス映画の、
土台を築いた人です。
裏窓」とか、「鳥」、「サイコ」など、
当時から観客を呼んだ作品が多くあります。

(イギリス生まれで、
映画を作り始めたのは、1920年頃からです。)

(最近の映画でも、
ヒッチコックのオマージュと思われる作品を、
よく見かけます。)



トリュフォーは、1950年代に登場した、
フランス映画の新しい潮流、
ヌーヴェルヴァーグのさきがけとなった、
「大人は判ってくれない」を発表しました。

同じヌーヴェルヴァーグの流れに入れられる、
ルイ・マル「死刑台のエレベーター」を、
学生らと観たことがあるのですが、
何だこれは、という学生の感想でした。

映画の挑戦的な表現を目指していて、
ストーリーも必ずしも明瞭でなく、
時にはシュールレアリスティックに感じる作品もあります。


そん、とんがったヌーヴェルヴァーグを代表するトリュフォーが、
エンターテイメントで人気を博するヒッチコックを、
尊敬している、というところが、
ちょっと意外なわけです。


トリュフォーにいわせると、
ヒッチコックは、映像や音響表現に対して、
挑戦的、実験的な監督なのです。

むしろ、人を熱狂させ、
今まで観たことのない世界を提供するには、
新しいことをしなければいけない、
ということです。


エンターテイメントの作品よりも、
いわゆる芸術作品の方が上、
という単純な価値観をひっくり返してみる、
きっかけになるでしょう。

(大学の授業でも、
文学作品の他、映画やマンガを取り上げて、
その表現の特徴を紹介したりしていますが

そんなことも考えてほしいと思っています。)


そもそも、とんがった、先進的な表現は、
従来の芸術の価値に当てはまらないので、
見過ごされることが、よくあるのです。


アメリカで映画をつくるイギリス生まれの監督の作品に、
フランスの若手監督が共鳴するという内容は、
映画制作の国際性を考える点でも、
おもしろいと思います。



報告:長沼光彦



報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)国際文化領域(多文化理解)京都日本語日本文化領域