2018年11月21日

一歩進めて考えたい


大学のゼミは、
少人数で、調査したことなどを発表し、
研究の仕方を実践しながら、
学ぶ授業です。



学生の発表に対して、
教員はコメントをします。

より良い発表になるように、
アドバイスをするわけです。


なるほど、という学生もいれば、
そんなことを言われると、
やり直さなければならない、
と、いささか、がっかりする、
学生もいます。


自分の発表が物足りない、
と言われたと、
受け止める場合もあるようです。


ここを広げると、もっと面白くなる、
という、つもりで言っているわけですが、
うまく伝わらなかったりするわけです。


そういうときは、
いやいや、ここはいいんだよ、
と、良いところを強調しておくのですが。


報告:長沼光彦

  
タグ :ゼミ


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 22:15Comments(0)授業紹介

2018年11月19日

下鴨神社で特別講義を実施しました 2 ―日本年中行事論

 
  そして、今回学生たちにとって最も貴重な体験となったのは、国指定重要文化財の「預屋(あずかりや)」に、特別なお許しを得て、上がらせていただいたことです。この建物は、もともと神事を行う神職たちの控室だった建物で、江戸時代初期に建造されたものです。






 現在は、結婚式場として利用されているとのことで、学生諸君も神妙な面持ちで入室しました(室内は撮影不可でしたので、以下画像はありません)。





 室内はもともと畳敷きだったそうですが、現在はバリアフリーへの配慮等から、土足で入れるようにしているとのことでした。赤い絨毯が敷きつめられたその一室に一同緊張しつつ着席、宮先生から、室内にしつらえられた調度品などについて、お話をうかがいました。

 まず、学生達の目の前に置かれている盃を指さし、宮先生が「みなさん、持ってみてください」と指示を出されました。さて、とまどった学生諸君、首を傾げつつ、思い思いの持ち方で持ってみますが、宮先生から、「それではうまく飲めないよ」と指摘される始末。御講話は、盃の正しい持ち方から始まりました。

 そして、結婚式の際、新郎新婦が交わす三三九度の盃は、下鴨神社ではどのように行われるか、神棚に置かれたお供え物は、米、餅、酒であり、古代の日本人がいかにコメを大切なものと考えていたかが分かること、神前に二対置かれている五色(緑、黄、赤、白、紫)の真榊〔まさかき〕やその飾り物にはどのような意味があるのか、神前結婚式はいつどのようにして行われるようになったか、など、興味の尽きないお話ばかりでした。

  そう遠くない時期に結婚式を経験するであろう学生諸君にとって、ひときわ関心の深いテーマだっただけに、みな真剣に聞き入っていました。

  ご多忙のスケジュールを縫って、2日間にわたり、貴重なお話をしてくださいました宮先生、神職のみなさんに、心より篤く御礼申し上げます。






 以下、2回の特別講義を受講した学生諸君の感想を抄出します。


 「下鴨神社・上賀茂神社のご祭神が、父、娘、孫の関係であるということを初めて知りました。また、今回結婚式場を見学させていただき、非常にうれしく思いました。神社の式場がどんなところであるのか、雰囲気を感じることができました。またあらためてゆっくりと神社を見学したいと思います」


 「別雷命の別、命の意味を初めて知った。昔の境内が、まさか京都大学、松ヶ崎、鞍馬口まであったとは知らなかった」


 「ふだん聞けないような貴重なお話がたくさん聞けて、とても勉強になりました。カツラの木に香りがあるということをはじめて知りました。大学から近いので、また参拝したいと思います」


 「下鴨神社全体がとても綺麗で、魅力的でした。将来、和装で結婚式を挙げたいなと思いました」



 「結婚式場に入らせていただき、光栄でした。私は神前結婚式に参加したことがないので、驚くことが多く、またいつか自分が結婚するかもしれないので、その時の参考にしたいです。盃の持ち方など、学ぶことができ、大変貴重な時間でした。とても厳かな雰囲気を味わうことができてよかったです。マスコミが使っている『寺社仏閣』という言葉が間違いだというお話もためになりました」



〔報告者:科目担当 堀勝博〕

  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(1)京都フィールドワーク授業紹介京都日本語日本文化領域

2018年11月18日

下鴨神社で特別講義を実施しました1 ―日本年中行事論

 
  人間文化学科展開科目「日本年中行事論」の授業で、2回にわたり、下鴨神社(正式名称:賀茂御祖神社)権宮司、宮 暘[みや よう]先生による特別講義を、神社境内において実施しました。




  「日本年中行事論」という科目は、日本で行われるさまざまな季節の行事について、その由来や意味について講義を行うもので、平成22年度から開講されていますが、その初年度より、同先生のご協力を得て、特別講義を実施させていただいており、今年で9年目を迎えます。




  今回、1回目の授業では、賀茂社の境内が、古くは今の40倍の広さであったこと、政府の「上知令」などによって社地が狭まっていったこと、明治遷都に際し、下鴨神社に仕える社家は天皇とともに東京へ移住したため現存していないことなど、歴史的な経緯を中心にお話をうかがいました。




  後半は、神職の原さんが、境内を案内してくださり、重要文化財の楼門は、2階があって威厳をもってそびえているように見えるが、実際にはその2階は、人が立って歩けないほど天井が低いものである、本殿ご神体の正面に鎮座する2体の獣像は、金色が獅子、銀色が狛犬である、など、興味深いお話をしてくださいました。




  2回目の授業では、宮先生御身づから学生諸君を引率、境内を案内してくださいました。葵祭の際に、楼門を入って中門の外側(舞楽殿など)で勅使や斎王代の祭事を行うが、それは明治以前は、中門の内側は禁域であったことを踏襲しているからである、葵祭の際、「葵桂(きっけい)」と言って、二つの植物を蔓に差すが、それは、葉の形の似た二つの植物に古代の人が着目し、二つを合わせることで陰陽和合の力が得られると考えたものである(葵が陰、桂が陽)など、実際の境内で桂の木の前でうかがうお話に、学生たちも感銘した様子でした。






〔報告者:科目担当 堀勝博〕
    


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)京都フィールドワーク授業紹介京都日本語日本文化領域

2018年11月17日

SPI講座を実施しました -3年次ゼミ

 
3年次生必修科目「専門演習Ⅱ」は、ふだんは各自が選択している専門ゼミに分かれて授業を受けていますが、今回は、全員が合同クラスに集合し、まもなく直面しなければならない就職活動で大きな意味をもつといわれるSPI試験について、体験講座を受講しました。

本来、就職活動というものは、個人の意欲と関心と必要度にもとづいて、主体的に追求するものであり、各自に任せておくべきものですが、最近では、キャリア教育と称して、学生がどのように自分のキャリアを見通して学習するかという視点が大学教育にも求められており、とくに学生諸君が自己実現をしていく上で大きな意味をもつSPI試験について、論より証拠、まずは体験してもらおうということで、初めての体験講座開催となりました。

 協力してくださったのは、リクルートキャリアメディアサービス事業本部の藤井志穂さんです。最初の30分、SPI試験に関するレクチャーをしてくださいました。





 SPI試験というのは、リクルート社が開発したもので、多くの民間企業において採用試験や人事管理等に活用されている重要な試験である。

 試験は性格検査と基礎能力検査と2種からなり、それらを総合した結果のデータが、幅広く活用されている現状がある。

 学生諸君は、それらの事実を知り、この試験の大切さを初めて理解したようです。

 そして、その後、本番と同じ、50分の基礎能力検査(言語・非言語テスト)の方を受験しました。

 漢字や語彙、文章構成を問う国語の問題はまだしも対応できたのですが、非言語問題のほうでは、食塩水の%の問題をはじめ、小学校や中学校で取り組んださまざまな算数・数学の問題が出題され、分数式の計算はどうだったか、比の値は、最小公倍数は、、、と次々に忘れ果てた計算法を思い出すのに必死で、悪戦苦闘。




 課外に行われている、SPI講座を受験しよう、と思った学生が多くいたようです。

 担当した藤井さんからは、次のようなコメントをいただきました。

 ほぼ全員の学生さんが最後まで真剣に解いていて、点数もまずまずだったように感じます。おそらく解き方を忘れているだけで、問題に慣れたりさび落としを行うことで本来の力を発揮できるようになると感じました。また、SPIの仕組みについてもお話しさせていただきましたので、少しでも「自分を助けてくれるツール」だと思っていただけましたら幸いです。

 学生たちが、就職活動にスイッチを入れるいいきっかけになったことと思います。ありがとうございました。


〈報告者:学科キャリア委員 堀勝博〉

 

   


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 20:19Comments(0)授業紹介キャリア教育・就活・インターンシップ

2018年11月16日

映画と原作は違う


ゼミで、映画と原作は違う、
という発表した学生がいました。



その違いは、まず、
映画の2時間という、
上映時間の制限から生まれます。


短篇小説から、イメージを広げた、
という映画もあります。

ただ、多くの映画は、
原作が小説であれ、マンガであれ、
原作の方が、エピソードが多いものです。

2時間の中では、
原作のエピソードのすべてを、
活かすことはできないので、
どうしても、印象が変わるわけです。


逆に、映画の隠されたエピソードを語る、
映画を原作とした小説も、
あります。


2時間を超えると、観客があきたり、
映画館の回転率が悪くなるので、
2時間に収める制限があるわけです。


脚本家や監督の意図だけでなく、
そのような外的条件が、
映画作品に影響を与えるわけです。


報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 20:48Comments(2)授業紹介日本語日本文化領域

2018年11月14日

好きなものを論じるのは難しい


ゼミで、小説や、マンガ、映画など、
好きなものを論じてみましょう、と、
発表をしてもらっています。



ただ、好きなものを、
あらためて論じる、ということは、
なかなか難しいようです。


感動は、自分をわくわくさせるものですが、
分析や批評は、自分を冷静にさせる面が、
あります。


せっかくの感動が、冷めてしまう、
ということになるようです。


そんなわけで、
好きな作品は、論じない、
と宣言する学生もいます。


実は、作品を論じようと、
ていねいに何度も見直したり、
読み直したりすると、
新しい発見があります。


そういう楽しみもあるわけですが、
最初の感動をとっておくのも、
また、それはそれで良いかもしれません。


報告:長沼光彦
  
タグ :批評


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 22:03Comments(0)授業紹介

2018年11月08日

卒業制作目的でフィールドワークに行きました(蘆山寺)

秋らしくなるかと思いきや、
ちょっと暑いくらいの11月7日水曜2時間目。

市バス4番を駆使して3回生ゼミで京都御所の横にある「蘆山寺」を訪れました。
こちらは、『源氏物語』の作者・紫式部の住まいがあったと推定されている場所です。
紫式部は曽祖父・藤原兼輔がこの地に建てた家で一生の大部分を過ごしたとのことです。
現在は、天台圓浄宗のお寺になっています(蘆山寺は938年に開かれた與願金剛院が起源で、1577年に現在の場所に移転)。

実は今回のフィールドワーク、ゼミメンバーの一人の卒業制作に向けた調査の一環です。

歩道を歩いて安全に移動する一同。


準備してきた解説を読むメンバーと聞き入るメンバーたち。


「源氏物語の庭」として整備された蘆山寺の庭園。
有名な桔梗は盛りではありませんでしたが、とても落ち着いた静けさを味わいました。


ついでに、近くの「梨木神社」にも寄り、
有名な染井の水(京都三名水のひとつ)を見て(今回は容器がないので味見はなし)、
萩の群生した境内を拝見しました。


3時間めのある人ばかりだったので、すぐに帰る弾丸ツアーではありましたが、
京都の雅を垣間見た時間となりました。
卒業制作を完成するまでには、きっといろいろな場所をめぐることになるでしょう。
がんばってほしいものです。

(報告 吉田朋子)

  

Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:59Comments(0)京都フィールドワーク授業紹介国際文化領域(芸術と思想)

2018年11月06日

高校生の皆さんが授業にいらっしゃいました

本日、詩を扱っている、
日本文学特講という講義に、
高校生の皆さんがいらっしゃいました。



年に何回か、訪問のお約束をしている、
高校から、生徒さんたちが、
本学に訪れます。


せっかくですから、
大学生には、これまでの話の続きで、
高校生の皆さんにも、
興味を持てるような話になるように、
ちょっと考えてみました。


詩のリズムの話をしたのですが、
JPOPなど、歌詞と結びつけて、
話を進めました。


詩は、あまり読まないという人でも、
JPOPは聴くので、
話に入りやすかったようです。


普段講義を聴いている大学生も、
もっと、こういう授業をしてほしい、
という感想をもらいました。


大学生の皆さんには、
詩そのものも、
もっと読んでほしいところですが。


報告:長沼光彦
  
タグ :JPOP


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 22:19Comments(0)授業紹介日本語日本文化領域

2018年11月05日

下鴨神社フィールドワーク


3年次ゼミ、専門演習のメンバーで、
下鴨神社にフィールドワークに、
出かけました。



大学の近くにあり、
行ったこともあるのですが、
知らないこともあり、
見てない場所もあるようです。


そんなわけで、
あらかじめ、由来など調べたうえで、
出かけました。


フィールドワークは、
資料を見て予習をしてから、
出かけるのが、決まりです。


行ってみると、
このまえの台風で、
下鴨神社の森
(糾(ただす)の森)に、
被害が出ていました。


実は、京都の各地の寺社で、
倒木の被害が出ているのです。

下鴨神社の成り立ちを、
調べに行ったわけですが、
現状を知ることになりました。


報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:49Comments(0)京都フィールドワーク授業紹介日本語日本文化領域

2018年11月02日

自分で調べる


2年ゼミ、発展演習では、
古地図を見ながら、
京都の文化を学ぶワークをしています




ひととおり、
資料の見方を紹介したところで、
今度は、受講生の皆さんが、
自分でテーマを見つけて、
発表する、という段階になります。


受講生の中には、
教員の話を聞いているので、
じゅうぶん、と言う人もいます。


話を面白い、と思ってもらえるのは、
良いのですが、
今度は、その面白いを、
他の人に提供される面白さではなく、
自分で発見して伝える面白さ、
にしてほしいのです。


自分で面白さを見つける姿勢が身につくと、
案内する人がいなくても、
どんどん面白さを広げていくことができます。

(もちろん、
案内してくれる人がいてくれると、
良い場合もありますが。)


そんなわけで、
2年次ゼミでは、
面白さを見つける練習を、
するわけです。


報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 22:02Comments(0)授業紹介京都日本語日本文化領域アクティブラーニング

2018年10月30日

ハロウィンの菓子


明日はハロウィンです。



先日の土日は、大学祭でしたが、
大学のある京都北山では、
北山ハロウィンというイベントが、
開催されました。

多くの方に訪れてほしいということで、
土日開催となっています。


そんなわけで、日本でも、
ハロウィンは、メジャーなイベントとなりました。


学生に、Trick or Treat
と言われたわけではないですが、
お菓子を食べながら、
ハロウィンの由来について、
調べてみました。


キリスト教のイメージを持っている方も、
いるかもしれませんが、
キリスト教会では、
行事として行うことはないようです。

ただ、ハロウィンの次の日に、
諸聖人の日、という行事があり、
その行事と重なるので、
キリスト教と関係あるように、
思われているのかもしれません。

(私の家の近所の教会では、
日曜日に、バザーをしていました。)


留学生からは、現地のハロウィン事情を、
聞いたりして、なかなか面白い発見がありました。


教員は、ただでお菓子を食べさせず、
勉強をさせようと企むわけです。

Treat and Study というところでしょうか。

報告:長沼光彦  
タグ :ハロウィン


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 21:04Comments(1)授業紹介

2018年10月29日

卒論も書かなきゃならない


4年生は、就活で忙しいわけですが、
卒業論文も書く必要があります。



2つ、大仕事が重なるので、
学生は、たいへんだ、無理、と、
ぼやきます。


大変ではありますが、
いい機会でもあると思います。


自分の考えを、長い文にまとめる、
という挑戦は、もうしないかもしれません。


少したいへんなことを、
がんばってみるという経験は、
自分の中に残るものでもあるでしょう。


今は、たいへん、無理、
という気持ちでも、
挑戦してみては、いかがでしょう。


報告:長沼光彦

  
タグ :卒業論文


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:12Comments(1)授業紹介

2018年10月25日

古地図を見ながら煩悩について考える


2年次ゼミ、発展演習では、
古地図を見ながら、
京都の文化について考えています。



今回は、仏教の話になり、
人間には、いろいろな煩悩があるなあ、
と学生に話題をふりました。


皆さんは、仏教が、
どういう欲望を避けよ、
と教えているか、知ってますか、
と聞いてみました。


人を傷つけたり、盗んだりするのは、
いかんだろう、という話が出てきます。


今で言う犯罪だけでなく、
誰もが持つような欲も、
アカンと言われているのだ、と言って、
皆さんの欲求の中で、
これはアカンと注意されそうなものはないか、
と聞いてみました。


すると、寝ること、という返事。


どうやら、サボるという意味で、
悪いことと、考えたようです。


何にせよ、あまり、
悪そうな欲望を、
思いつかなかったようでした。


報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 21:52Comments(0)授業紹介日本語日本文化領域

2018年10月24日

疲れているけど、やる気はある


以前に、授業中に学生が、
疲れた、と言う、
という話をしました





授業を早く終わろうという、
サインでもあるわけです。

まあ、早く終わってもいいのですが、
何で疲れてるの、と聞いたりします。


そうすると、授業で真面目に考えたから、
疲れた、というような返事が、
かえってくることがあります。



その授業は、国語教員免許の授業で、
はじめから説明せずに、
自分でいろいろ考えて、
答を出してみたら、
というスタイルで進めていました。


真面目に取り組んだから、
疲れた、というわけです。

なるほど、と返事して、
終わっても良いのですが、
何で、考えさせたのか、
という話をして、終わりにしようと思います。


今は、指導教員の説明を聞いて、
授業の組み立てても良いのだが、
教育現場に行けば、
自分力で、授業を組み立てる必要がある。

今から、そういう練習をしてほしいので、
考えさえているのだ、
という話をしました。


すると、疲れていたと言っていたのが、
メモをとりながら、
話を聞きはじめます。


何だかんだ言いつつも、
真面目なのでしょうね。



報告:長沼光彦







  
タグ :授業


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 22:00Comments(0)授業紹介

2018年10月23日

詩は目で見えないものを書く


日本文学特講は、
詩を読んでいます。



詩は、読みにくいと言われたりします。

それは、詩が、
目で見えるような世界を、
書かない場合があるからだと思います。


飯島耕一の「他人の空」には、
次のような一節があります。

 空は石を食ったように頭をかかえている。
 物思いにふけっている。
 もう流れ出すこともなかったので、
 地は空に
 他人のようにめぐっている。


「空は石を食ったように頭をかかえている」
って、どんな光景なのでしょう。

そもそも、空は、
ものを食ったりしないわけですから、
その絵面が思い浮かびません。


ここは、そこで並んでいる言葉が、
思い浮かべさせる、
種々のイメージを、
組み合わせていくことから始めると、
良いと思います。


石を食う、のは、
何かつらそうだなあ、とか。

頭をかかえている、から、
何か悩んでいるのかなあ、とか。


言葉のひとつひとつが、
思い浮かべさせる印象から、
読み始めるわけです。


そうすると、
この空は、何かつらいことで、
悩みながら、もの思いにふけっているのかな、
と読むこともできます。


現実の風景にこだわらずに、
言葉ひとつひとつを味わってみるところから、
はじめてみては、いかがでしょうか。


報告:長沼光彦
  
タグ :飯島耕一


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 22:10Comments(1)授業紹介日本語日本文化領域

2018年10月20日

大西英玄先生 ホスピタリティ京都

ホスピタリティ京都は、
京都で伝統的な仕事に携わる方たちを、
お迎えして、
おもてなしについて考える授業です。



7月17日のホスピタリティ京都は、
清水寺の僧侶、大西英玄先生を、
お招きしました。


清水寺は、多くの人たちの心のよりどころ、
となってきたお寺です。

人や物事との出会いを、
仏様の引き合わせる機会、
仏縁と考えて、感謝し、大切にしていきます。


本来、お招きした私たち大学が、
感謝すべきところですが、
大西英玄先生は、
授業で学生と出会った事に感謝します、
とおっしゃいました。

人との出会いに感謝する、
仏縁を重んじていらっしゃるのです。


大西英玄先生は、
ホスピタリティに大切なのは、
そのような感謝の態度に加え、
見えないものを意識すること、
自分の属する組織の特徴を理解すること、
原則としての軸を意識すること、
だとおっしゃいます。


これらは、普段の私たちが、
なかなか自覚できないことだと思います。

聴講した学生の感想を聞くと、
普段の人との関係を見直す、
よい機会になったようです。


報告:長沼光彦

  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 16:02Comments(1)授業紹介京都

2018年10月19日

古地図でイメージを広げる


2年次ゼミでは、古地図を読む、
ワークをしています




京都の昔の地図ですから、
そのままでは、どんな場所か、
イメージが湧いてきません。


まずは、自分のよく行く場所を、
思い浮かべてもらいます。


京都には、河原町という、
鴨川沿いの繁華街があります。
そういう場所でも、良いですね。

それは古地図で、
ここらへんにある、
と確認してみます。


川など大きな地形は、
変わっていませんから、
現在の場所と結びつけることができます。


そんなふうにして、
地図を具体的な場所と、
結びつけるところから始めます。


報告:長沼光彦  

Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 19:08Comments(0)授業紹介日本語日本文化領域

2018年10月17日

詩は形をとらえる


ただいま、日本文学特講では、
詩を読んでいます




詩は、読みにくいという、
意見もあります。

ただ、形式に注目しては、
いかがでしょう、という話をしました



例えば、隠れた比較、
という形式があります。

今、読んでいた、
田村隆一「木」は、
こんな一節で始まります。

 木は黙っているから好きだ
 木は歩いたり走ったりしないから好きだ
 木は愛とか正義とかわめかないから好きだ


木を好きだ、といっているのですが、
どの理由も、××しないから、
という否定的な言い方になっています。


木の良いところを、
あげているわけではないんですね。


これは、木が好き、というよりも、
黙っていない、歩いたり走ったりする、
愛とか正義とかわめくものが、
嫌いだ、と言っているのと同じでしょう。


つまり、木は、
何かはっきりと示されていない、
愛とか正義とかわめくものと、
比較されているわけです。


隠れた比較、というのは、
こんな表現形式です。


詩を読むには、
明確に書かれていない部分に、
気持ちを向けることも必要でしょう。


報告:長沼光彦  
タグ :田村隆一


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 21:26Comments(0)授業紹介日本語日本文化領域

2018年10月13日

カメラを止めるな 上映しています


前に話題にしました映画、
カメラを止めるな

京都で、上映館が増えているようです。



京都の古地図を読む授業で、
鴨川の近くに、盛り場が多い話を、
していました。
(この話は、また別の機会に。)


その流れで、寺町通(てらまちどおり)の話になり、
映画館とか、あるね、
という話になりました。


先生、最近どんな映画を観ましたか、
と聞かれたので、
カメラを止めるな、
の名前をあげました。


知ってる、知らない、
という声があがり、
テレビのニュースなどで、
話題になっていることを知っている人もいました。


では、見たの?、と聞くと、
見ない、との返事。

話題になっていても、
他に見たい映画があると、
お小遣いの関係で、
見ない、ということになるようです。


ネタバレしてはいけないので、
あまり多くは語れないのですが、
面白さを伝えるのは、
なかなか難しいところです。


報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 20:26Comments(1)授業紹介日本語日本文化領域

2018年10月10日

激しい感情は知らない 詩の話続き


詩を読むとなると
言葉ひとつに、
こだわってみた方が良いと思います。



そんなわけで、
詩の中に、「わめく」という言葉が出てきたので、
皆さんは、「わめいた」ことありますか、
と聞いてみました。


一度もないとの、お返事。
まあ、そうですね。
私もありません。


わめく、というのは、
あまり日常的な態度では、
ないかもしれません。


とはいえ、そういう普通じゃなさそうな、
わめきたいと思うときはどんなときか、
考えてみます。


その気持ちを考えてみないと、
言葉の意味がわからないからです。


私たちは、わめく、という辞書的な意味は、
知っていますが、
わめく人の状況や気持ちを、
考えたことはないわけです。


そういうところから、
はじめてみるのが、
言葉にこだわることだと思います。


報告:長沼光彦

  
タグ :感情


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 21:34Comments(1)授業紹介日本語日本文化領域