2017年04月02日

ラ・ラ・ランド 京都で映画を観る

ラ・ラ・ランド  La La Land は、
今回のアカデミー賞候補作です。

授賞式で、まちがえて、
作品賞受賞と発表される、
珍事がありました。



とはいえ、
監督賞、主演女優賞などを、
受賞しており、
評価された作品であることは、
まちがいありません。

(監督は、デミアン・チャゼル、
主演女優は、エマ・ストーンです。)


ラ・ラ・ランドは、ミュージカルなのですが、
まずは、オープニングから、
こだわりの映像が展開します。

ロサンジェルスの、
ハイウェイの一部を借り切って、
ワンショットで撮影された、
歌と踊りの場面です。

カメラが、切れ間なく、
舞台を移動し、
歌い踊る人たちを追いかけていきます。

広々とした空間を、
自在にカメラが動く映像は、
圧巻です。



まさに、歌と踊りでつくられた世界、
ラ・ラ・ランド、という感じですが、
ストーリーの展開は、
必ずしも、ラ・ラ・ラ、というわけにはいきません。

主人公の夢と挫折があります。
詳しくは、実際に映画を観てください。

ただ、どんなときにも、
主人公には音楽があります。

そういう意味では、
ラ・ラ・ラ、なのでしょう。
どういう気もちで、
口ずさみ、楽器を奏でるにしろ。


ミュージカルの歴史をふまえながらも、
これまでのものと違う味わいになっています。

ディスニー映画で馴染みになっている人には、
こちらのミュージカルも観てもらえると、
また別の面白さが発見できると思います。

報告:長沼光彦


  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 21:47Comments(0)国際文化領域(多文化理解)日本語日本文化領域

2017年03月24日

モアナと伝説の海 京都で映画を観る


モアナと伝説の海、
ディズニーのアニメーション映画です。

温暖な地域の海を舞台とした、
ファンタジーです。


いろいろ楽しい映画でしたが、
ストーリーにふれると、
映画を楽しむ邪魔になると悪いので、
別の話をいたしましょう。


ファンタジーではあるのですが、
登場人物の表情や動作は、
アメリカ文化を反映しています。



例えば、ラッパーの人たちが、
二人で見合って、
互いに手をたたきあったり、
ハイタッチしたりすることがありますね。

(Handshakeといわれているようです。)

こういう動作を、登場人物がしたりするわけです。


アメリカとは文化が違うはずですから、
真面目に考えれば、
そういう動作をすることは、
ないでしょう。

とはいえ、
観客がアメリカの文化を共有していれば、
そういう動作は、
映画を楽しくみせるための、
演出になります。



映画の世界観としては、
リアルではないわけですが、
観客にとっては、
なじみ深いので、
むしろリアルに(生き生きしているように)
感じるわけです。


こういうリアルの使い分けが、
映画の演出の面白いところでもあります。


報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 22:34Comments(0)国際文化領域(多文化理解)日本語日本文化領域

2017年03月21日

たかが世界の終わり 京都で映画を観る

「たかが世界の終わり」
It's only the end of the world
四条の京都シネマで観ました。

(とはいえ、もう上映が終わるようです。
毎度、話が遅くてすみません。)



監督のグザヴィエ・ドランは、
19歳の時に「マイマザー」で監督デビュー。
俳優の菅田将暉が、
もっとも会いたい人と、
テレビで言っていたことがあります。

「たかが世界の終わり」は、
カンヌ国際映画際グランプリを、
受賞しています。


映画は、画面が暗転したままで、
小さなノイズ、機械音が聞こえるところから、
始まります。

そして、主人公の独白。

冒頭から、映画に入り込むことを、
求めてきます。


登場人物同士も、
会話がどこか行き違っていて、
その理由がなかなか
つかめないところがあります。

登場人物の言葉や、
表情に注目していきます。

この映画、人物の表情を、
アップでとらえる時間が多いのです。

そこでまた、映画に入り込んで、
いくことになります。


きちんと説明してほしい人には、
もやもやするところがあるかもしれませんが、
こういう引き込み方に、
映画独自の表現があると思います。

あるいは、グザヴィエ・ドラン監督、
独自の表現と言った方が、
良いかもしれません。



報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 23:15Comments(0)国際文化領域(多文化理解)京都日本語日本文化領域

2017年02月20日

こころに剣士を 京都で映画を観る


「こころに剣士を」

これも少し前の話ですが、
京都シネマで、映画を観ました。



第二次世界大戦後まもなくの、
エストニアが舞台です。

子ども達にフェンシングを教える、
小学校の先生の話です。

タイトルの剣士は、
フェンシングのフェンサーですね。


これから観る人のために、
あまり詳しく話しませんが、
戦後のエストニアの状況に起こった、
実話をふまえた映画です。

(内容が知りたい方は、
インターネットを調べてみてくだい。)


エストニアは、第二次世界大戦中は、
ドイツに占領され、
末には、ソヴィエト連邦(今のロシア)に、
占領されました。

ドイツとソ連は戦争していましたので、
政治体制が、がらっと変わったことになります。

ドイツ軍に入ってソ連と戦闘した、
エストニアの人々もいて、
そういう人たちは、ソ連に目をつけられ、
収容所に送られます。

小学校の子どもたちも、
祖父や父親が収容所に送られています。

主人公は、そういう村にやってきて、
はじめは子どもとなじめなかったのが、
だんだんと父親の代わりを務めるようになるのです。



この映画は、教師と子どもたちの、
不器用な人間関係と、
その背後にある傷ついた心を描いていきます。

自分の意思だけでは、
どうにもならない、
大きな力の中で、
何とか生きていく姿を描いている、
と思いました。

主人公は、子どもたちとの交流の中で、
そのどうにもならない状況に、
向き合おうとしていきます。


おそらく、人間は、
時代から完全に自由になることは、
できません。

とはいえ、その抑圧に、
あらがって、何かしてやろう、
という気持ちを持つものでもあると思います。


少し話しすぎたような気もしますが、
こういう豊かなメッセージを読み取りたくなるのは、
いい映画だからでしょう。

よろしければ、
DVDになったら、
観てみてください。


長沼光彦  

Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 21:46Comments(0)国際文化領域(多文化理解)京都日本語日本文化領域

2017年02月14日

ヒッチコック・トリュフォー 京都で映画を観る


ちょっと前の話ですが、
ヒッチコック・トリュフォー、という映画を、
京都シネマで観ました。


アメリカの映画監督、ヒッチコックに、
フランスの映画監督、トリュフォーが、
インタビューして出版した、
「映画術」という本
(日本では、晶文社が翻訳出版、
大学図書館に蔵書あり。)
があります。




その際テープに記録していた音声や写真を用い、
現在活躍する映画監督のインタビューを織り交ぜながら、
構成した映画です。

映画がどのようにして作られているか、
考えるきっかけになる映画です。



ヒッチコックは、1960年頃、アメリカのサスペンス映画の、
土台を築いた人です。
裏窓」とか、「鳥」、「サイコ」など、
当時から観客を呼んだ作品が多くあります。

(イギリス生まれで、
映画を作り始めたのは、1920年頃からです。)

(最近の映画でも、
ヒッチコックのオマージュと思われる作品を、
よく見かけます。)



トリュフォーは、1950年代に登場した、
フランス映画の新しい潮流、
ヌーヴェルヴァーグのさきがけとなった、
「大人は判ってくれない」を発表しました。

同じヌーヴェルヴァーグの流れに入れられる、
ルイ・マル「死刑台のエレベーター」を、
学生らと観たことがあるのですが、
何だこれは、という学生の感想でした。

映画の挑戦的な表現を目指していて、
ストーリーも必ずしも明瞭でなく、
時にはシュールレアリスティックに感じる作品もあります。


そん、とんがったヌーヴェルヴァーグを代表するトリュフォーが、
エンターテイメントで人気を博するヒッチコックを、
尊敬している、というところが、
ちょっと意外なわけです。


トリュフォーにいわせると、
ヒッチコックは、映像や音響表現に対して、
挑戦的、実験的な監督なのです。

むしろ、人を熱狂させ、
今まで観たことのない世界を提供するには、
新しいことをしなければいけない、
ということです。


エンターテイメントの作品よりも、
いわゆる芸術作品の方が上、
という単純な価値観をひっくり返してみる、
きっかけになるでしょう。

(大学の授業でも、
文学作品の他、映画やマンガを取り上げて、
その表現の特徴を紹介したりしていますが

そんなことも考えてほしいと思っています。)


そもそも、とんがった、先進的な表現は、
従来の芸術の価値に当てはまらないので、
見過ごされることが、よくあるのです。


アメリカで映画をつくるイギリス生まれの監督の作品に、
フランスの若手監督が共鳴するという内容は、
映画制作の国際性を考える点でも、
おもしろいと思います。



報告:長沼光彦



報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)国際文化領域(多文化理解)京都日本語日本文化領域

2017年02月09日

多言語学習環境を研究しています

英語による中国語教授法見学所感

朱鳳   



 2015年に、本学の英語英文学科のYork Weatherford先生、小山哲春先生と一緒に「新しい多言語学習環境の構築—英語による中国語学習、中国語による英語学習」という課題で科学研究費助成金を受けることになった。本研究は アジア諸大学多言語学習環境を考察し、日本における英語による中国語学習、中国語による英語学習可能性を検討することを目的とするものである。
その研究の一環として、2016年11月4日香港城市大学の中国語授業を見学した。この大学の全ての授業は英語で行われるため、中国語も英語で教授されている。今回は萬嵐先生の中国語初級クラス(練習と宿題を中心)を見学させていただいた。全クラス40名程度の学生がいるが、すべてヨーロッパ、日本、韓国、その他アジア、ヨーロッパ非英語圏の学生である。つまり英語と中国語は両方とも非母語である。3ヶ月の交換留学生が多いため、皆モチベーションが高い。週に5コマ、或いは3時間の授業を受けるのが一般的である。また、皆会話に興味があるのが大きな特徴である。
 90分の授業はすべてピンインの練習、宿題の答え合わせに費やしていたが、単調に感じさせなかった。その理由は、次の数点にあるのではないかと考えられる。
 1.最初から本日の授業のスケジュールと目標を言う。目標を可視化することによって、学生に学習到達点にたどりつける安心感と自信を与える。
 2.パワーポイントで練習問題を掲示する。いきなり当てるのではなく、担当を指定し、学生に少し議論と準備時間を与える。アクティブラーニング的な教授法を導入している。
 3.教員が使用している英語は決して難しい単語ではない。さらに、重要なポイントはすべてパワーポイントで表示している。例え、英語が得意でない学生でも視覚と聴覚の両方から教員の教えを理解することができる。
 授業終了後、教員数人で英語による中国語の授業についての意見交換も行った。日本と違って、香港という特殊な土地で、学生たちが中国語学習のモチベーションが高いのではないかと私からの質問に対して、「確かにその一面があるが、英語が母語でない学生にとって、英語で中国語を学習することで、英語の学習にも有益である」と萬嵐先生が答えた。つまり、多言語環境とモチベーションも大事だが、もっと大事なのは言語学習関連性と効果を学生に目に見える形で感じさせることである。
 本学の中国語、英語学習学生のモチベーションは香港の学生と比較すると、まだまだ低いものである。これから、香港城市大学の授業に倣い、簡単英語で中国語の授業を数回実施して、その学習効果を研究していきたい。









  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)教員の研究活動国際文化領域(多文化理解)

2017年01月02日

ローグ・ワン スターウォーズストーリー 京都で映画を観る


正月休みで、映画を観に行く方も、
いらっしゃるかと思います。

学生の中に、スターウォーズを観ている、
という人もいましたので、
取り上げました。
(これも、京都で観ました。)

(写真は、映画館と、三条通あたりです。)



スターウォーズも、長く作られている映画で、
1977年が最初ですから、なんと40年です。

観ているという学生も、旧作をDVDで観て、
近作を映画で観るという、パターンのようです。


ややこしいのですが、
1977年から作られた作品が、
シリーズの、4話、5話、6話にあたり、
1999年から作られたものが、
1話、2話、3話にあたります。
2015年から作られているのが、
7話、8話、9話です。

今回のローグ・ワンは、
4話の前のエピソードということになります。



ローグ・ワンは、世間のまとめ方でいうと、
スターウォーズを、戦争映画ぽく描いた、
ということになるようです。


スターウォーズだから、
戦争映画ではないのか、
と聞かれそうですが、
スターウォーズの話の筋は、
騎士物語に近いと思います。

フォースという特別な力を持った騎士(ジェダイ)が、
悪のフォースを駆使する暗黒騎士と戦うという話です。
(ファンの人からは、違うと言われそうですが、
ここでは、簡単にまとめておきます。)


1977年のシリーズの魅力のひとつが、
フォースです。
宇宙のパワーと一体化して、
超人的な力を発揮するわけですが、
主人公が、修行を経て活躍する物語を観て、
オレもこういう力をつかいたい、
と思った人が大勢あらわれました。
(暗黒パワーに憧れた人もいました。)


ところが、1999年のシリーズでは、
フォースは特別な才能を持つ人だけが、
駆使する力だと、再定義されました。
修行したからといって、
誰でも、騎士(ジェダイ)になれるわけではない、
ということになったのです。

これには、反発するファンも多く、
イメージがだいぶ変わってしまったようです。



ただ、この変更には、
時代の変化も影響しているように思います。


1977年は、誰もが、
力を得る可能性がある、
そういう夢を描く時代だったのだと思います。

1999年は、持てるものと、
持たざるものとの差が、
明確になった時代です。

むしろ、1999年のシリーズは、
力を持つがゆえに、
不幸になっていく人物を、
描いていました。


そして、2015年は、
力を持つ不幸から、物語は、
はじまっています。
1999年の物語を反復し、
そこを超える(変える)物語を、
提供するのではないか、
と思っています。

個人的には、
コミュニティの物語になるのでないか、
と勝手に予想しています。
(アナと雪の女王とか、
ベイマックスとか、とどこか、
共通してくるのではないか、
と思います。)




そして、ローグ・ワンですが、
ここには、スーパーパワーを持った、
人物は出て来ません。

メインストリームからはずれた、
よせ集めの集団、ローグ(ならず者)が、
スターウオーズの、
重要なエピソードに関わる、
という話の流れになっています。

(ただし、女性主人公は、
実は重要人物なので、
主流からはずれた、というのは、
正しくない言い方です。
物語上、メインストリームからはずれた、
位置に立たされている、ということです。)


スーパーパワーを持っていないので、
登場人物たちは、
闘いの中で、ぼろぼろになっていきます。

そのへんがリアルに感じられ、
こういうスターウォーズを観たかった、
という反応も出てきています。



ただ、スターウォーズは、本来、
スパーパワーを持った者の、
活躍を描く映画です。

パワーを持たない人達の活躍が、
共感を呼んでいることころに、
現代らしさがあるのだと思います。

持たざる者の生き方を描くのが、
現代の物語だということですね。



かつては、自分の可能性を信じるのが、
若者だと、言われた時期もありました。

こういう物語が、受け容れられるのだとすると、
時代の雰囲気も変わっているのだと思います。


報告:長沼光彦



  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)国際文化領域(多文化理解)日本語日本文化領域

2016年12月28日

ファンタスティックビーストと魔法使いの旅 京都で映画を観る

冬休みになり、映画を見に行く学生も、
いるようです。

卒論でがんばっていた4年生も、
これから、観たい映画がある、
と言っていました。

(写真は、四条通の、クリスマス飾りです。)


そんなわけで、
ファンタスティックビーストと魔法使いの旅、
です。

(京都でなくとも、観ることができますが、
時折話題に出す、新京極の、
MOVIX京都で観ましたので、
京都で映画を観る、としておきます。)



現在、在学している学生は、
ハリーポッターと一緒に育ってきた世代ですので、
思い入れの強い人もいるようです。

(とはいえ、主演のダニエル・ラドクリフも、
もう27歳のようですから、
学生の皆さんより、さらにお兄さんですね。)


「ファンタスティックビーストと魔法使いの旅」は、
ハリーポッターの原作者、ローリングが、
書き下ろしたシナリオによって、
作られた映画です。

ハリーは登場しませんが、
(時代も過去に遡っています。)
世界観はつながっています。



今回、おもしろいなと思ったのは、
イギリス(ハリーの舞台)から、
アメリカへと、魔法使いが、
渡航してくる設定です。

時代は、1926年。
第二次世界大戦の前です。

イギリスと、アメリカでは、
魔法社会の考え方や、
法律が異なり、
ちょっとした異文化交流が、
テーマになっています。

アメリカの魔法社会は、
トラブルを避けるために、
魔法を使えない人間との交流、結婚を、
禁じています。
(イギリスは、ハリーの話にあったとおり、
魔法使いと人間が結婚する例もありましたね。)

法律を守ろうとする杓子定規なところが、
アメリカの、契約社会を思わせます。



また、ヨーロッパと、アメリカの出会い、
という点で、
以前観た「ブルックリン」を思い出しました。

私たちは、欧米とひとくくりにしたりしますが、
ヨーロッパとアメリカの文化は、
異なります。

その違いが、
「ファンタスティックビーストと魔法使いの旅」
にも、ちらほらと現れていて、
そのへんに、ローリングの、
ちょっとした工夫があるように思いました。

主人公も、何というか、
ルールに縛られない、
マイペースな人間なんですね。



報告:長沼光彦


  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)国際文化領域(多文化理解)京都日本語日本文化領域

2016年11月04日

映画は世界の入り口 京都で映画を観る

最近、外国映画を観る人が、
減ってきているそうです。

といいますか、映画を観た人の割合で、
日本映画を観る人の割合の方が、
高くなったのだそうです。
(一般社団法人日本映画制作者連盟HP)


(写真は、四条烏丸の、
京都シネマのあるcocon烏丸です。)


学生の皆さんの中には、
外国映画は観ない、
という人もいます。

(共通教育の「日本文学」という授業で、
文学の表現の特徴を考えるため、
映画の表現と比較していました。)


まったく観ないというのは、
少しもったいない気がします。

外国映画は、世界と出会う、窓口です。



よその国は、それぞれ独自の文化を持っています。
映画にも、その特徴が現れています。

日常的な場面では、こんなのを食べるんだ、
とか、思ったりします。

また、日本では見ることができない、
独特の風景や建物に出会うこともあります。

もちろん、行くことができるなら、
現地に行った方がいいのですが、
その国の雰囲気は伝わります。



「ブルックリン」という映画は、
1950年頃の、アメリカ、ニューヨークの、
アイルランド移民の生活を描いています。
(京都シネマで、上映していました。)

地元に仕事を見つけられなかった女性が、
ニューヨークに仕事をするため、
大西洋を渡ります。

そのとまどいや、緊張、ホームシックが、
映画で描かれます。

あらためて、アメリカが移民社会だということが、
わかります。



また、主人公の恋や生活設計が描かれ、
そのあたりは、どの国の人間が見ても、
感情移入ができるところです。

外国映画は、誰もが感じる感情を通して、
よその国の文化を知ることができるところが、
面白いのだと思います。

報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 20:25Comments(0)国際文化領域(多文化理解)日本語日本文化領域

2016年09月08日

ポケモンGOは、地域格差があるらしい


ポケモンGOで、文化を考える話の続きです。



話題のポケモンGOですが、
地域によって、ポケモンの出現する割合が、
異なるようです。

有名な公共施設を中心とした、
地図データを用いているため、
目立った施設のない地域では、
ポケモンが出現しないようです。


目立った施設がない、
というのも、失礼な言い方かなと思いますが、
開発元が、いわゆる名所、ランドマークと、
判断しないと、
(プログラムが判別してるのかもしれませんが)
ポケモンが出現する場所にならないわけですね。

最近の報道では、
ポケモン出現の地域格差を解消する方向で、
開発元が考えている、とのことです。

スマホのゲームですから、
場所によって、
遊びにくくては困りますね。




香港から来ている留学生に、
香港でのポケモンGOの地図を見せてもらいました。

すると、ポケモンを闘わせる、
ポケモンジムが、
近い地域に林立しています。

海外でも、都市部は、
ポケモンが多く出現するようです。



一方、京都は、
お寺や神社で、
ポケモンが出現しないように、
依頼をしているところもあります。

ポケモンを捕まえに来る人が押し寄せて、
参詣、参拝にいらした人の、
妨げになる場合があるようです。


ポケモン自体は、
お寺や神社と、関わりがありません。

そのあたりが、現実とゲームを結びつけているようで、
うまく結びついていないところかと思います。

ピカチュウの出現場所として、
有名になることで、
人を呼ぶきっかけにすることもできるでしょう。

けれども、その場所自体に、
興味を持ってもらえるかどうかは、
わかりません。

バーチャルなゲームの内容と、
現実の場所との関係を、
うまく設定できると、
より多くの人に受け入れられる、
ゲームになるのではないかと思います。


報告:長沼光彦


  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 18:55Comments(0)国際文化領域(多文化理解)日本語日本文化領域

2016年09月03日

前回のオープンキャンパスの授業と次回のお知らせ


8月21日、日曜日のオープンキャンパスは、
平野美保先生の模擬授業「笑顔のコミュニケーション」、
朱鳳先生の体験コーナー「おもてなしの中国語」、
を行いました。




「笑顔のコミュニケーション」は、
「よろしくお願いします。」という、
同じ言葉でも、
声の調子や、表情で、
まったく印象が変わる、
というお話をしました。

コミュニケーションは、
言葉以外の要素も、
強く影響する、
ということです。



「おもてなしの中国語」は、
日常的な場面で使う中国語を紹介し、
身近に感じていただこう、
とうものです。


人間文化学科は、
日本と世界の交流をテーマに、
日常的な場面のコミュニケーション、
また、世界の人とのコミュニケーション、
について、学んでいます。


次回オープンキャンパスは、
9月11日、日曜日です



授業は、吉田朋子先生
「ヨーロッパ美術の流れ 
名作って、どこがすごいの??
ギリシア彫刻から現代美術までの約2500年から選んで鑑賞しましょう」
です。

体験コーナーは、
鷲見朗子先生
「アラビア語を話してみよう
世界一美しい言葉で名前を書いてみよう」
です。


アラビア語は、
8月21日と同じく、
異文化交流のテーマです。

ヨーロッパ美術は、
人間が表現してきたもの、
その背景について考えます。

文化表現も、人に伝えるという意味では、
広義のコミュニケーションと、
考えてよいかと思います。

(私の専門の文学も、
同じく文化表現について、
考えるものです。)



高校生の皆さんは、
学校がはじまりましたが、
本学の学びを知っていただくために、
また、オープンキャンパスに、
おいでいただければと思います。



報告:長沼光彦



  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 19:21Comments(0)話しことば教育国際文化領域(多文化理解)

2016年08月18日

今週末はオープンキャンパスです


次の日曜日、8月21日は、
オープンキャンパスです。



人間文化学科の模擬授業は、
平野美保先生、
「笑顔のコミュニケーション」です。

体験コーナーは、
朱鳳先生、
「おもてなしの中国語」です。


「笑顔のコミュニケーション」は、
本学で進めている、
話しことば教育の入門です。

口頭のコミュニケーションで、
大切な要素について、
お話しします。


「おもてなしの中国語」は、
多文化理解領域の、
文化、習慣をふまえた、
外国語習得の体験の場を用意します。



今回も、学生スタッフが、
来場いただいた皆様を、
ご案内いたします




高校生の皆さんにとっては、
夏休み後半のイベントになると思います。

9月にも、オープンキャンパスはありますが、
8月21日も、ぜひおいでください。


報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)話しことば教育国際文化領域(多文化理解)

2016年07月17日

オマーンの方との交流

鷲見先生のお誘いで5名の学生が、6月末に日本オマーンクラブ主催の食事会に参加してきました!単なる食事会ではなく、イスラムにおけるラマダーン月の断食明けの食事イフタールで、場所は大阪のトルコ料理店でした。



~オマーン人~
オマーンという国は、アラビア語が公用語の中東の国です。有名なアラビアンナイトの船乗りのシンドバットは、オマーンの港から船出をしたといわれています。
初めて、オマーン人の方と出会いました。オマーン人の女性は、頭に「ヒジャーブ」を身につけていました。スカーフのような布で髪の毛を隠すヒジャーブは、色鮮やかでそれぞれの個性を表しておりとてもお洒落でした。
 日本のどのようなところが好きかを尋ねると、「全部好き」と言ってくださり、優しくて親しみやすい人柄の印象を受けました。(R.M)



~食事1~
最初に「タムル(デーツ)」という黒砂糖の味がするナツメヤシの実を食べました。これは美容や健康に良いとされ"おいしいけど太らない"ということでアメリカやヨーロッパでは天然の美容食、健康食として人気上昇中のものです。飲み物は「アイラーン」というヨーグルトドリンクを飲みました。これまで飲んできたヨーグルトの中でもとびぬけてしょっぱかったので、とても印象的でした。もちもちとしたできたてのパンには4種類の具材をのせて食べました。大豆を煮込んだ料理は、トマトスープのような味がしてとてもおいしかったです。 銀の串刺しに刺さったケバブはとても柔らかくてボリューミーで、飽きのこない味でした。
 また、私は羊の肉を初めて食べましたが、とてもおいしくて驚きました。ハラール料理は私にとって未知の領域でしたが、日本にある食べ物と味が似ているものもあり、とてもおいしくいただくことができました。(N.S)



~食事2~
初めて「ハラール料理」を頂きました。ハラールとはアラビア語で「許された」という意味です。イスラム教徒はお酒を飲むこと、豚肉を食べることが禁じられています。しかし、イスラムの教えに則った方法で加工や調理をした、ハラール認証の店ではイスラム教徒は安心して食事を楽しむことができます。
 日本でもハラール対応のお店が増えてきていますが、今まで知らなかったので多くの方に知ってもらいたいと思いました。また、イスラム文化についてもっと詳しくなりたいという向上心がわきました。(M.J)



~会話~
食事を通して、オマーン人の方とたくさん会話をすることができました。
今まで食べたことがない料理が多く、アツアツのパンにつけて食べるものに、
「これ、チーズかな?」
「こっちはピリッとしたトマト味でしたよ」
「これ、何の味がした?」と意見交換をしたり、
「マーハーザー?」(これは何ですか)
と、アラビア語で聞いたりして、たくさんコミュニケーションをとることができました。
また、串に刺さった大きな肉のお皿が出て来たときには、ハラール料理に「豪快だな」と驚くこともありました。
(A.S)




オマーン人の方は、アラビア語と英語と日本語を使って私たちにたくさん会話をしてくださいました。日本オマーンクラブ会員の日本人の方とも交流でき、うれしかったです。
初めて食べたイフタールのこと、ラマダーンのこと、オマーンの国のことをたくさん知ることができ、最後にはみんなで写真を撮るなど仲を深めることができました。
今回このような機会を設けていただいた日本オマーンクラブの皆様に心から感謝申し上げます。

人間文化学科 アラビア語とアラブ文化を学習している学生  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)学生の活動報告国際文化領域(多文化理解)

2016年05月07日

インタビューしてみました 日本語コミュニケーションⅠ

日本語コミュニケーションは、前回、
自分の紹介の仕方について、考えてみました



自分自身のこととはいえ、
自己紹介する機会でもなければ、
あまり考えてみないものです。

そこで、メモを作りながら、
自分について思いつくことを、
どんどんあげてみました。



今回は、それをふまえて、
自分以外の人に取材する、
インタビューをしてみることにしました。


この前のメモは、いわば、
自分についての取材です。

その目線で、今度は、
人について、話すべきこと、
書くべきことを、探してみよう、
ということです。


実は近年、中学校・高等学校でも、
話したり、聞いたりする活動を、
実践的に行う授業が行われています。


社会人の能力として、
身近な人だけではなく、
あまり知らない世の人々、
あるいは、異なる文化の人たちと、
交流する力が求められています。

今の国語は、コミュニケーション力や表現力を含めた、
総合的な言語活用能力が求められているのです。


人間文化学科でも、自国はもちろん、
多様な国の人達と交流することを、
学びの目標としているので、
大学の入門として、
コミュニケーションとしての言語表現について、
学ぶことにしています。




あらためてインタビューするのは、
照れくさい感じもあったようです。

ただ、フレッシュマンセミナーや、
基礎演習で学科のメンバーと交流し、
馴染んできたので、
それなりにインタビューして、
まとめることができたようです。


何かを学び、身につけるには、
ひとつの授業だけではできません。

学科のさまざまな体験を通して、
自分の可能性を広げてもらえると、
良いですね。

報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)国際文化領域(多文化理解)国語科教諭免許授業紹介

2016年04月11日

どこでもグローバル


京都は、どこでも、
海外からのお客さんや、
留学生の方たちとお会いします。


今回は、大学の近くのコンビニでの出来事です。
地下鉄北山駅前ですね。


コンビニに、
チケットの代金振り込み、
などをする端末があります。


その前に男女二人連れの、
アメリカ人らしき方たちが、
操作をしておりました。


私も、振り込む用事があり、
待っていたのですが、
お二人はスマホを眺めながら、
あれこれと操作しております。


ずいぶん時間がかかるな、
という感じでした。


近くで待ち構えているのも、
いやな感じなので、
離れて、
雑誌売り場のあたりにいますと。


やがて、
「だれか、たすけて」と、
英語のアクセントぽい、
日本語で、
二人連れの男の人がつぶやきました。


こらあかん、と思い、
どうしましたと声をかけました。

予約したチケットの代金を、
振り込みたいらしいのですが、
よくわからないようです。

男の人は、日本語は話せるのですが、
漢字表記まじりの、
操作パネルが、
今ひとつわからなかったようです。


こういう出来事があるとなると、
日本国内であっても、
英語表記くらいは、
準備した方が良いようです。


(前に紹介しました、
京都駅の拉麺小路は、
4言語表記でした。)

端末によっては、
複数言語を選択できるものも、
あるみたいですね。


というわけで、
コンビニでも、
英語が少し使える方が、
よいおもてなしが、
できるようです。

報告:長沼光彦

  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)国際文化領域(多文化理解)京都

2016年03月30日

京都で映画を観る サウルの息子

またまた、四条にある京都シネマで、
映画を観ました。


「サウルの息子」
ハンガリーの監督、
ネメシュ・スロー演出の映画です。

第68回カンウ国際映画祭グランプリ
アカデミー賞外国語映画賞
を受賞しました。


映画は、木々が並ぶ、
林らしきところから始まります。

林らしき、というのは、
カメラのピントが合っていないため、
もやもやとした画面だからです。

つい映写機が壊れているのではないか、
と思ってしまいました。


しかし、主人公らしき人が現れると、
その周辺だけ、ピントが合っています。

なかなか不思議な表現の映画です。



映画の始めに、字幕で示されるのですが、
第二次世界大戦中に、
ナチスドイツが、ユダヤ人を強制収容した、
アウシュビッツで働かされた、
ユダヤ人の話なのです。

アウシュビッツでは、
ユダヤ人が大勢虐殺されました。
この出来事はホロコーストと呼ばれています。

その虐殺に荷担させられたのが、
ゾンダーコマンドと呼ばれる、
ユダヤ人です。

彼らもまた一定期間働かされると、
殺されるのです。



どうやら主人公は、そういう境遇に耐えられず、
周囲が見えなくなっているようです。



その主人公が、虐殺されるガス室の中で、
自分の息子を見つけます。

そして、何とかして葬儀をあげたいと、
奔走します。

その行動が、この映画のすべてです。
ただし、主人公の行動には、
そんなことをして良いのか、
判断に困るところが、
たびたび現れるように思いました。

そのあたりは、自分で映画を観て、
確かめてみてください。


見終わると、人間が重んじるべきものは、
何だろうか、と考えさせられます。

それは、思いやり、とか、愛、とか、
いうような言葉では表現できないものです。

映画は言葉で表現されないために、
考えさせられる部分が多いのです。

報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)国際文化領域(多文化理解)京都国際文化領域(芸術と思想)

2016年03月24日

京都駅は世界の入り口です

京都駅に行くと、海外からのお客さんに、
出会います。


前にお話した、伊勢丹の、
京都拉麺小路(きょうとらーめんこうじ)は、
よくお目にかかるスポットです。

10階まで行くのも、
なかなかたいへんではないかと思うのですが、
時間帯によっては、行列ができています。




ひとつは、10階まで、
一本道でで登っていけるエスカレーターが、
面倒な気持ちを、和らげているのかな、
と思います。


もうひとつは、言葉の壁をなくそうと、
4言語で表記した、パンフレットを作っている、
工夫のおかげかと思います。
(英語のアルファベット、中国語の繁体、簡体、
韓国語のハングル、4表記となっています。

京都駅の通路にも、
パンフレットは置いてあり、
これをを持ってきて、
見せながら注文しています。

麺の太さ、スープのこってり、あっさりが、
6段階で表記されているところも、
味をイメージしやすくなっています。



異文化の人たちと交流するためには、
まず言葉が大切だということですね。
相手の当たり前を知らなくては、
こちらの気持ちも伝えられませんね。

もうひとつは、麺の太さ、スープの濃さ、のような
わかりやすい基準をつくることでしょうか。

ラーメンを説明するのに、
いろいろ言いたいことがありすぎると、
情報量が増えて、ポイントがわからなくなります。

むしろ、知らない人には、
情報を整理して単純化しないと、
なかなか伝わりくい、ということです。

このあたり、日本人同士でも、
同じ心遣いは必要だと思います。



伊勢丹では、タブレットパソコンを使った、
京都案内のコーナーを設けたり、
国内外の観光客の皆さんに、
京都を楽しんでもらう工夫がなされています。

このあたりも、フィールドワークで、
観察してみても、面白いと思いますよ。


報告:長沼光彦
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 17:00Comments(0)国際文化領域(多文化理解)京都

2016年01月17日

京都で映画を観る 独裁者と小さな孫

以前にご紹介した、京都シネマで、
独裁者と小さな孫、を観ました。
京都シネマは、四条交差点近く、
cocon烏丸ビルにあります。


モフセン・マフマルバフ監督が制作し、
ヴェネツィア国際映画際オープング作品となった映画です。

あらすじは、
ある国でクーデターが起こり、
逃げ損ねた独裁者とその孫が、
脱出しようと国内を放浪する、話です。

独裁者が孫と逃げる、というシチュエーションは、
現実味がなく、おとぎ話のようですが、
彼らが出会う、国内の出来事は、
残酷です。

独裁者は、
自分が仕向けた国内の現実を、
孫と共に経験することで、
自分の体や家族の体に感じる、
傷みや苦しみとして実感するのです。

モフセン・マフマルバフは、
祖国イランを離れ、
ヨーロッパで亡命生活をしています。

この映画は、
ジョージア、フランス、イギリス、ドイツで共同制作され、
ジョージア語で台詞が語られます。

近年耳にする、グローバルという言葉ですが、
世界の動き、実態は、
こういう映画や、その制作背景にも現れています。

人間文化学科は、こういう作品を通じて、
グローバル社会を学ぶ学科です。

(以前は、「明日になれば」を、
学内で上映しました。)

報告:長沼光彦


  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 21:21Comments(0)国際文化領域(多文化理解)京都国際文化領域(芸術と思想)

2015年12月11日

USJハリー・ポッターの世界へ

2015年11月末にUSJユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ
私のゼミの学生と比較文学講読「ハリーポッターを読む」
クラスの学生と課外学習として行ってきました。
留学生も参加してくれました!
お目当てはもちろんハリーポッター区画です。
9時20分に地球儀の前で待ち合わせをしました。


スタジオ内へ入り、まずクリスマスツリーの前で全員でチーズ。


ハリー・ポッター区画では、3Dのハリーポッター・アンド・
ザ・フォービドゥン・ジャーニーを体験したり、
ふくろう便&ふくろう小屋でグッズを見たり、
バタービールを味わったりしました。
まるで物語のなかの登場人物になった気分でした。


ホグワーツ特急の前です。


昼からは2年生と3年生で分かれて行動しました。
当日はこの時期にしては温かく、お天気にも恵まれました。
後で感想をきいてみると
「魔法のほうきに乗ってクィディッチをしたみたい」
「魔法の世界に迷いこんだ感じ」
「ハリー・ポッター区画は最高でした」ということです。


授業で学んだハリー・ポッターの世界がまるで現実のように
感じられ、作品への関心と理解が深まった、ほんとうに素敵な一日でした。

人間文化学科教員 鷲見朗子
  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 09:00Comments(0)京都フィールドワーク国際文化領域(多文化理解)授業紹介

2015年12月03日

共に暮らす人

グローバル社会と言われるようになって、
経済問題などで、
世の中の競争的な側面が、
取り上げられるようになっています。


競争がエスカレートすると、
勝ち負けをはっきりさせたい人や、
とことん相手をやっつけなければすまない人も、
現れてきます。

しかしながら、
競争相手は、将来の商売相手や、
共同事業を立ち上げたりする相手
となる場合もあるので、
とことんやっつけるのは、
かえって損になる場合があります。

ほどほどにしとこか、
という気持ちも必要でしょうし、
勝っていても、ぼちぼちですわ、
と控えめにしておく方がいいかもしれません。


本学の学生は、
こういう、喧嘩せんとこか、
ほどほどにしとこか、
という感覚が身についているようです。

誰かがしくじったり、さぼったりしても、
まあしゃあないな、
くらいの気持ちで、
助けてあげることがよくあります。

そこは、怒っといた方がいいんのと違うの、
というと、
先生、そんなきついこといったらあかんよ、
かえって諭されます。

一緒に過ごしていく人に、
無理は言わない、という感覚が、
共有されているのだと思います。

これは本学の学生の美質だと思います。
競争型の社会はわりと疲れますが、
喧嘩せんとこかという感覚は、
ちょっとした癒やしをもたらします。


ただ、勝ち負けを価値観とする人たちに、
私たちの生き方は、わりといいんですよ、
というためには、
もう一歩踏み出すことも必要かもしれません。

それは、例えば、
共に暮らしていく人を、積極的にいいね!
といえる、肯定的な態度だと思います。

お互いの良いところをわかっていたら、
徹底的にやっつけてやろうという、
気持ちにはなりませんね。

実は、こういう人も、本学にはいまして、
相手のいいところを見つけて、
よくほめたりします。
あるいは、私に、ほめてあげなきゃ、
と言ったりします。

競争は、よきライバルと認める気持ちを生むこともあれば、
相手を否定する気持ちも生み出します。

どうせならば、相手の良いところを認めたうえで、
競い合う方が良いのではないかなと、
学生を見ながら思うわけです。

それは、グローバル社会で求められる、
もうひとつの価値観、
多文化共生、につながる姿勢でもあります。

報告:長沼光彦  


Posted by 京都ノートルダム女子大学      国際日本文化学科(人間文化学科)  at 23:23Comments(0)国際文化領域(多文化理解)